繁殖講座 第6講

交尾の見極めと産卵



 交尾から産卵までの期間は、我々キーパーにとって、最も興味深い期間です。今まで目にしたことのなかった個体の動き、そして、生命誕生の神秘・・・。連日、個体の一挙手一投足が気になって仕方ないことでしょう。しかし、実際に繁殖に挑む個体からすると、最も危険で、なおかつ神経質になる時期でもあります。日ごろなら気にも止めないような刺激すら、許されないものになってくるはずです。となると、繁殖を無事に終えるためには、この時期「いかにこちらの観察欲をセーブするか」が大きなポイントとなりましょう。


交尾の見極め

 実は、ヤビーの交尾のシーンというもの、そうそう簡単に見れるものではありません。基本的に、オス側がまず最初にアプローチをかけ、メスがそれを受け入れるという方式をとりますが、この際、「オスは、必ずしも相手をメスだとわかっているわけではない」という考え方があります。これについて「いや、何らかのサインがあって、オスは最初からメスをわかっているはずだ」と唱える人もいますが、ハッキリしていないのが現状です。とにかく、オスの方からアプローチをかけるケースが圧倒的なのは、間違いないでしょう。
 さて、ここで交尾・・・と行きたいところですが、すべてがあらかじめ想定された動きに沿ってうまく行くかというと、そうでもありません。基本的には、オスがメスを裏返しにして、向き合うように上へ乗り、精包をメスの第3胸脚基部に付着させる・・・という動きをとりますが、メス側が、その間、素直に大人しくしているケースは、私の観察できた限りでも、半数程度です。特にメス側が初使用の場合、最後の最後まで抵抗することも少なくなく、オス側は必死で頑張ったりして、見る側も苦笑してしまいます。その意味で、何度か繁殖を経験しているメス個体は、素直にしていることが多いので、キーパーが「初体験」の場合、こうした個体を使うのも一つの方法でしょう。何年間もペアとして同居している個体同士などは、見ていても、実に手慣れたものでして、ちょっと下世話な話ですが、ヤビーにも、実に「人間っぽい」ところがあるのでしょうか・・・(となると、私は「ノゾキ魔」になってしまう・・・けど)。
 一方、変則的な交尾姿勢をとる場合もあります。これは、オスよりもメスの方が大きめであったりする時に見られるものですが、従来の「オス上位姿勢」が逆転して「メス上位」になったり、あるいは互いに横向きの姿勢になったり・・・というものです。ただ、これらは、あくまでも「姿勢」の問題だけのことですので、根本的なシステム自体には特に影響はなく、観察する側が手を加えて姿勢を直してやるというような必要は全くありません。だいたい、どこの世界でも、そういう余計な手助けをするのは「野暮」ってもんですよ!
 交尾は、一般的に10〜20分程度で終わる・・・とされていますが、これは、正直なところ、個体差が大きく、何とも申し上げられません。ストップウォッチで計測したわけではないのですが、ほんの数分で終わってしまったこともありますし、小1時間近く交尾姿勢をとったままであることも時折あります。これは、同じ個体同士のペアでも、その時その時で時間が変わりますから、不思議なものです。交尾が終わると、オス・メスとも、ただちに別行動をとり始めますが、アメザリと異なり、ヤビーのメスは、一度交尾をしてしまうと、その後はオスのアプローチを拒否する場合が多いようです(もちろん、これは私の経験した限りでのことであり、学術上、こうした記述は見たことがありませんが・・・)。となると、交尾の有無を確認することがないまま「気づいたら産卵・・・」なんていうことも、充分考えられるわけです。
 ただ、ヤビー(を始めとした日本で繁殖事例のあるチェラックス属諸種)の場合、アメザリなどと比較して最も大きな違いは
「精包を体内に取り込まず、第3胸脚基部付近に付着させたままである」ということでしょう。アメザリの場合、交尾して受け取った精包は、通常メスの体内に取り込んでしまいますので、交尾の瞬間を押さえておかない限り、その有無を把握することはできません。しかし、ヤビーなどの場合、体の裏側を確認してみることで、すぐわかる通り、第3胸脚基部付近に、白いスポンジ状のゴミのような物質を付着させますので、それで判別がつきます。付着の有無をむやみに取り出して確認するのは、当然好ましいことではありませんので、個体が流木などに登ったり、餌などをねだる際に、しっかりとチェックしておきましょう。
 交尾後は、多少あっけないのですが、オスの任務はすべて終了となります。そのまま同居させておいても、少なくても孵化までは特に問題があるわけでもないのですが、これからさらに大変な仕事が待っているメス個体に、より静かな環境を準備するため、
交尾が明らかに行われたと確認され次第、オス個体は別水槽に収容し、単独飼育へと切り替えることをお薦めします。


産卵時の注意

 ヤビーの繁殖について、最も興味深く、そして危険なのが、この「産卵」前後だといえます。養殖文献などを見ても、基本的には「いじり(刺激させ)すぎるな」的な書かれ方をすることが多く、我々も、興味があるだけに注意が必要だといえましょう。
 産卵が近づいてくると、メス個体は、盛んに「ポジション探し」を始めます。また、すでに交尾前からそうしたスペースを見つけている場合、そこから動かなくなってきます。これは、産卵の姿勢からもわかるのですが、産卵は、メス個体にとっても、脱皮と肩を並べるくらいに「危険」な行為であり、こうした「場所探し」は、無防備な我が身を守るための「本能」かも知れません。キーパー側としては、なるべく余計な覗き込みをやめ、水槽内にあらかじめ設定しておいた行動スペースを「安全な場所」として認識してもらうように努力することが大切です。前々よりそこが選ばれているのならば別ですが、やむを得ず選択した窮屈な場所での産卵は、それでなくても不安定な産卵作業に影響を及ぼすことがあるからです。
メス個体が尾扇を精一杯広げ、腹節をくるりと丸めて腹部全体をボール状(カップ状)にし始めたら、産卵は間近に迫っているといえましょう。
 産卵は、個体が横臥姿勢をとることからスタートします。一見「どこか具合でも悪いのでは・・・」とでも思ってしまいそうな派手な横臥姿勢ですが、一切干渉してはいけません。「水槽に近づいてもいけない」というのは、さすがに言い過ぎかも知れませんが、それぐらいの配慮は必要であるといえましょう。
 横臥姿勢になったメス個体は、やがて産卵を始めますが、それは非常にゆっくりとしたペースで、何度かに分け、姿勢を入れ替えながら、左右の産卵口より1粒ずつ産んでは受精させ、胸脚を使って丸めた腹部へと収納して行きます。その間、我々キーパーを含め、何らかの外敵を確認すると、ただちに姿勢を直してしまうことがありますので、注意が必要です。もちろん、外敵の姿が消えれば、再びそうした姿勢で産卵を始めますが、そうした「仕切り直し」を何回もさせてしまうと、大きなストレスになってしまいます。また、
緊急退避行動(腹部を使って後ろ側に飛び逃げること)などをとらせると、今までの作業がすべてパーになってしまいます(理由は後述)ので、厳重な注意が必要だといえましょう。
 何度かの休憩をはさみ、姿勢を入れ替えながら産卵をし終えると、メス個体は腹部をボール状にしたまま、安全な場所へと身を隠します。餌などに対する反応も鈍り、数日間はほとんど行動スペースに顔を出しません。この状態、我々キーパー側からすれば、非常に心配な状態なのですが、ここでも、個体に対する一切の干渉はやめましょう。ヤビーの場合、アメザリなどと異なり、産んだ直後の卵は、腹肢にほとんど接着(付着)していません。実際に付着し、アメザリのような房状になる(といっても、アメザリと比較すると、ずいぶんと貧相な「房」ですが・・・)のは、産卵後1週間ほどたってからのことで、その間、メス親は、ボール状の腹部を開くことはありません。前の講で「尾扇は重要」ということを述べましたが、尾扇が欠損していると、この段階で「卵を抱えきれない」という障害が発生してしまうのです。もちろん、下手に産卵を確認しようとして腹部をこじ開けたり、緊急退避行動によって腹部を開かせてしまっては、すべてが終わりです。一度落卵してしまうと、卵を孵化まで持ち込むことは不可能で、そういう意味では、ここあたりが
「最も神経を使う時期」だということになりましょう。実際の養殖現場ですら、この時期は「いじり(刺激させ)すぎるな」ということになるのですから・・・。


交尾も、産卵も確認できない時

 「交尾も見逃した、しかも、産卵した気配がないのに、ずっと腹部を丸めたまま・・・」というケースは、実のところよくある話です。となると、ますます心配になってしまうのがキーパー心理・・・ですよね。しかし、実のところ、これは決して珍しいケースではありません。むしろ、全体の事例数から見れば、交尾・産卵双方の現場を確認できることの方が少ないといえましょう。もちろん、こうした時には、確認したい気持ちをグッと我慢して1週間ほど待ち、腹部を開くのを待つ方が賢明です。しかし、どうしても気になってしまう場合のために、(個体差がありますので、完全ではありませんが)産卵の有無を見極める「ヒント」を出しておきましょう。
 メス個体は、産卵しながら、卵と精包、そしてセメント(腹肢への接着物質)とをミキシングさせ、腹節へと送り込みます。すると、そうした物質が、丸めた腹部の左右の隙間から漏れ、何となく「ゴミを抱えた」かのような感じになります。腹部回りに、そうした「白ゴミ」が見え始めたら、「あ、卵を持ってるな!」というように認識して、ほぼ間違いないでしょう。
 なお、キーパー間で「空撃ち」と呼ばれる無受精産卵の場合も、こうした「白ゴミ」が付着する場合があります。ただ、空撃ちの場合は、産卵直後から徐々に落卵を始め、メス個体が腹節を開く5〜7日目程度には、すべて落ちてしまいます。水槽内を水カビまみれの卵が漂い始めたら、ある程度は覚悟しておいた方がよいでしょう。空撃ちは、メスだけで飼育している時に発生するケースがほとんどですが、まれに、ペアを組んでいても発生することがあります。ペアの相性の問題で交尾できなかったことが主な原因でしょうから、残念ですが、そのペアでの繁殖はあきらめ、次の機会に組み直して臨んだ方がよいでしょう。「喧嘩をしない」=「よいペア」ではないことを知っておく必要はあると思います。




 産卵後1週間程度たつと、時折行動スペースに顔を出しては、腹部を広げてユサユサ動かすようになります。こうなれば、まずはひと段落・・・だということになります。