繁殖講座 第4講

ペアリング開始のタイミングとセッティング



 前講でも触れた通り、ヤビーは「夏型種」で、春に交尾・産卵し、初夏には孵化を完了させるものです。ただ、一概に「春だ、初夏だ」といっても、抽象的過ぎるというもの・・・。そこで、ここでは、実際の養殖場で使われたデータをもとにしながら、そのタイミングを考察し、併せて水槽のセッティングにも触れてみましょう。


基本水温

 ヤビーの繁殖における最低水温値は、14度とされるのが一般的です。しかし、14度というのは、見方によっては立派な「冬水温」であり、これは、あくまでも「最低可能値」ということになりましょう。となると、本当の意味での「繁殖適温」は? ということになるのですが、養殖文献で見る限り、一般的には「20度前後」ということになっています。各文献における、こうした数値の誤差は極めて小さく、私の見る限り、すべてを網羅しても20〜24度の範囲で収まります。それだけ、養殖におけるノウハウが確立していることを意味するのでしょう。一方、最高水温については、文献によってまちまちですが、概ね30度前後と考えれば問題ないと思います。
 普通、水温を上げれば、個体の代謝能力も上がるため、非常によいとされます。事実、20度では約40日間かかる抱卵期間も、30度ならば19日に短縮できるというデータもあるくらいですから・・・。しかし、「水温が上がれば、水はそれだけ傷みやすくなる」という事実を御存知ないキーパーはいらっしゃいますまい。
高水温下では、水質の急激な悪化に加え、卵に悪影響を及ぼす水生菌の活動が活発化するという困った側面があり、この影響は決して軽視できないからです。養殖文献においても、低水温でのマイナス事例以上に高水温でのマイナス事例が取り上げられ、警告が発せられることが少なくありませんから・・・。となれば、やはり、20〜24度前後でスタートさせる方がよいように思われます。
 さて、ここまで申し上げた段階で恐縮なのですが、最適温である20度に設定してペアリングを始れば、最も効果的な繁殖ができるかというと、最近になって、「正直、そうだとは言い切れない」という考え方がでてきました。一部のキーパーで語られ始めた「変温誘発法」といわれるものです。
 通常、一般的な熱帯魚の繁殖にチャレンジする際、水温は「適温」でもって固定するのが常です。これは、養殖現場においても同じことで、そのための大規模な水温維持設備が導入されることも少なくありません。ザリガニについても、その発想は変わらないと思われてきました。
 しかし、ある大手養殖業者が出版したヤビー養殖に関する書籍によって、そのスタンスに、初めて疑問符が打たれることになります。その文献には「他の養殖場(多くの養殖者)が、固定水温によって繁殖をスタートさせる中、我々は、一定範囲内における水温の変化こそが、ヤビーの繁殖にとって素晴らしい誘因であることに気付いた」と書かれていたからで、これは、ヤビーのキーパーのみならず、ザリ・キーパーには非常に大きな衝撃を及ぼしました。
 この内容について詳しく見てみると、繁殖開始段階で、設定水温を18度から26度までの間でフリー(気温任せ)にし、可変的な水温状態において種親個体に繁殖活動を誘発させようというものです。これは、この養殖場が、自らの持つ設備の不充分さを隠蔽するために提唱しているわけではなく、水温・水質・餌供給から光照射時間及び光量まで、フル・オートメーションによる管理設備を持った上での選択的提唱という点で、非常に高い説得力を持っています。
 一見、非常に突飛な方法だと思われる、この「水温変化による繁殖活動誘発」という考え方は、前講で触れた「体内時計」とも微妙に連関してくる問題で、もしかしたら、(自然環境に適応するという点で)非常に合理的かつオーソドックスな方法なのかも知れません。実際、現時点でも多くの養殖場では、水温を一定させた環境によって交尾・産卵を行っていますが、この新しい方法は、今後一つの流れとなって行くことでしょう。いずれにしても、
ヤビーの場合「繁殖開始時の厳密な水温設定は、適温範囲内である限り、さほど必要ではない」ということになりそうです。


水質と溶存酸素量

 普通、繁殖方法の解説にあたって最も具体的に語られるのは、前項の水温設定と、これから述べる水質設定でしょう。ディスカスやグッピーなどの繁殖記事を読みますと、pHから始まって、GH、KH、果ては微量含有物など、飼育水全体について、事細かな指示が出されているのを見かけます。そして、それらの設定が、繁殖自体の可否を決定するというケースも、よくある話だといえましょう。  しかし、商業生産という点で、より本格的であるであるはずのヤビーについて、それらの文献を見てみると、この部分の指示は、水温と比較して異様なくらい少なく、驚かされることも少なくありません。これは、それだけヤビーの水質適応能力が高いことを物語るものであるともいえましょうが、だからといって「すべてOK!」ではないことは、みなさんも御理解いただけることでしょう。
 水質については、ヤビーの基本飼育水と同じで構わないと思います。問題は溶存酸素量で、これは常に充分な量を供給する必要がありましょう。また、量的な部分での急激な上下がないよう、気をつける必要があります。
 ヤビーの場合、確かに低酸素状態に対する耐性は非常に強い種であるといえます。しかし、それはあくまでも成体に対してのみ言えることであって、卵及び稚ザリの低酸素状態に対する耐性が皆無に等しいことは、もはや説明するまでもありません。ですから「一般飼育における溶存酸素の最低ラインが1〜3ppm だから・・・」などという、余計な数値依存は避けるべきでしょう。とにかく、充分な酸素が常に溶けている状況を確保することが重要です。交尾、産卵時においては、静かな環境を設定するという意味で、エアーは無理に強くしなくてもよいとは思いますが、基本的に「溶け過ぎ」による障害は、考えなくて結構ですから、産卵後しばらくたって、親個体が腹部を広げるシーンが見え始めたら、活動に支障のない範囲で、ある程度の水流をつけるのは問題ないと思います(詳しくは、後の章で触れます)。


光照射時間と光量

 繁殖の場合、ともすると水温設定ばかりが語られがちですが、意外と重要で効果が高いのが、この光照射時間と光量だと思います。「水槽がいっぱいになったので、卵を全然生まなくなったペアをベランダの水槽に移してみたら、翌春から突然卵を生むようになった」という事例が、今までも数件ありましたが、これは、水温変化はもちろん、規則的な日照(光照射)と光量確保が、一つの要因になったであろうことは、容易に想像できます。佐倉においても、実際に間接光が差し込む上段の水槽の方が、繁殖成績が高いという不思議な傾向があります。
 さて、光照射時間についてですが、
養殖現場においては「照射14時間」が、一つの目安とされています。冬至(オーストラリアでは、当然「冬至」なんて言いませんが・・・)を過ぎて、少しずつ日照時間が伸び、14時間を越えるあたりでスイッチがオンされる・・・ということになるわけですから、その時間数を考えても、日本でいえば水ぬるむ4〜5月ごろを一つの基本時期と考えてよいでしょう。
 さて、水温の項目で「変温誘発法」という目新しい方法について触れましたが、実はこのシステム、水温ばかりでなく、光照射時間についても、同様のものが存在します。こちらの方は、水温での事例に比べると、あちこちで耳にすることも多く、より一般的なものであろうと思われますが、14時間を基準に、1週間で1時間ずつ照射時間を延長し、3週間・各日17時間まで延ばした後、再び14時間照射からスタートさせる・・・というものです。「陽が延びる」ということを、継続的、反復的に経験させることで、繁殖システムをより効率的に起動させようというもので、実際に、そのまま水槽飼育環境へ持ち込めるかとなると、多少難しい部分もなくはありませんが、これ自体は、非常に面白い方法だと思います。ザリ・キーパーとして、要は「光照射時間も、繁殖機能を起動させる要因の一つである」という認識を持つ程度で充分でしょう。この点から考えれば、「静かな環境を」と腐心するあまり、照射時間が極端に短くなるような暗い場所に水槽をセットしたり、観察に懸命なあまり、蛍光灯を一日中つけっぱなしにする・・・などということが、実はマイナス要因になりかねないという事実は、知っておくべきではないかと思います。
 一方、光量については、判断が非常に難しい部分があるといえましょう。養殖文献などを見ると「夏を認識させるために、繁殖時には光源を増やす」というような説明が随所に見られます。確かにそれ自体は誤りでなく、面積単位では、冬よりも夏の方が高い光量を得るものですが、だからといって、水槽飼育下において水槽の蛍光灯を増やしたり、意図的な強い光源をセットするというのは、必ずしも「正解」ではありません。養殖現場においても、光源を増やすのは「光量増加のため」というより、「照射時間延長に対応するため」というのが実際のところでしょうから・・・。
 ヤビー繁殖における一般的な認識として「濁水(透明度の低い水)環境が望ましい」という考えがあります。これは広く認められているもので、養殖文献を見ても、(その養殖場がそういう水を利用しているかどうかは別として)これ自体を否定するものはありません。この「濁水」を水槽で再現できるかとなると、確かに難しい部分がありますので、養殖場を含め、実際にはほとんどが「清水(透明な水)」を用いることが多いのですが、この環境において、極端に強い光量を与えるとどうなるかという点を考えれば、少なくとも光量の増加に関する逆行性と危険性は御理解いただけると思います。
 ある意味で、
「特別な気づかいよりも、自然環境に近いメリハリをつけてやる」ということが、我々キーパーにとっては、最も大切なことかも知れません。


水槽のセッティング

 水槽は、今まで育ててきた水槽でも充分で、それほど気をつかわずとも行けてしまう(1+同士なら、40センチ水槽で行けたことが何度もありました)のが、ヤビー繁殖の有り難いところなのですが、ここでは「累代繁殖のための充分な環境設定」ということで、必要とされる条件をすべて満たすことを前提として、話を進めたいと思います。
 繁殖用水槽は、やはり大きいに越したことはありませんし、その方が稚ザリの歩留まりもいいのですが、ペアリングの段階で親個体同士が常に意識し合えるような環境を作るとなると、そうそう大きくもできません。従って、
1+同士みたいな中・小型個体の場合は通常の60センチ(60×30×36)水槽で充分でしょう。3+以上程度の大型個体なら、広型60センチ(60×45×45)水槽を用意したいところです。基本的なセッティングは、通常飼育水槽と同じで構いません。行動スペースを広めにとると同時に、2カ所の退避スペースを、それぞれ向かい合うような位置関係でセットしてやることがポイントです。ペアリング開始の段階でセパレーターを使う予定がある場合(詳しくは次講で触れます)には、セパレーターを組み込んでも支障が出ないような(水槽中央部を行動スペースにするような)セッティングにしておきましょう。
 何かと問題になる濾過システムについてですが、繁殖期間中、基本的には換水をしないので、ある程度大容量のものを選びたいところです。「大容量のフィルターを・・・」という表現は、ザリに限らず、それこそ飼育記事の「定番」的な表現であると思いますが、ザリ繁殖の場合、さらに付け加えたいのが、
「充分な溶存酸素量を維持できるシステムである」ということでしょう。すでに説明するまでもありませんが、濾過(好気性バクテリアによる生物濾過)の段階では、それなりに酸素を消費します。もちろん、それによって猛烈な酸素量低下が発生するわけではありませんが、外部密閉式フィルターなどの場合ですと、方法によっては、こちらが考えている以上に低酸素化してしまう場合もあるものです。こうしたフィルターを使用する場合は、やはりディフューザーなどによる酸素混和をしておく方が無難です。
 また、気をつけなければいけないのが
「吸水口の設定」です。独り歩きを始めたばかりの稚ザリは、種にもよりますが、体長7〜8ミリである場合がほとんどです。こんな状況では、通常の吸水口フィルターですと、簡単に吸い込まれてしまいます。多少の濾過水量低下は避けられませんが、吸水口にスポンジ・フィルターなどをつけてやる工夫は必要でしょう。




 セッティングが完了すれば、いよいよ個体の導入です。キーパーの「腕」が試される、繁殖作業のスタートです。