美しい思い出を、静かに語り合いましょう
〜ごあいさつにかえて〜


 人間、誰しも、忘れられない思い出があるものです。そして、思い出とは、時が経つにつれて美しく、素晴らしくなってくるものだと思います。

 このサイトは、南海ホークスの思い出を取り上げたものです。プロ野球が、国民のスポーツとして広く定着している今、それぞれの土地を代表する、数多くの魅力的な球団が、素晴らしい選手たちを擁し、熱戦を繰り広げながらペナントを競っています。各チームのファンは、そんなシーンの1つ1つに接し合いながら、思い出の年輪を刻んでいることでしょう。球場には、今も、多くのファンの声援や感動が渦巻いていますから・・・。

 でも、南海ホークスは、もう、そこにはいないのです。緑の鷹は、私たちの心の中でだけしか舞うことはなくなりました。昭和から平成へと時代が変わる中で、ホークスは、本拠地を福岡に移し、福岡ダイエーホークスとして、多くのファンとともに、今も歩みを続けています。これは、とても素晴らしいことです。でも「あの鷹」にすべてを賭けた私のような人間にとって、「鷹の名を冠するチーム」とは、今でも緑の衣を身にまとい、やはり、今でも難波の蒼空に舞っているものなのです。

 ホークスが福岡に移ってから優に10年を越えている今になって、こんなことを言い出しますと、今のホークスを応援されている、九州始め全国のファンの方には、厳しい御批判を頂戴することになるかも知れません。しかし、こうした気持ちは、その昔、すべてを賭けてライオンズを応援し、そして涙を流して最愛の球団を見送り、どこか複雑な想いを抱きながらも新生ライオンズを見守って行くしかなかった九州の野球ファンの方であれば、必ずやわかっていただけると思います。そして、そうした悲しみを心の底に持たれているからこそ、かつての「敵軍」を、暖かく迎えて下さったのだと思います。

 南海ホークスの匂いが残っていた湯上谷選手が現役を退き、今、福岡ダイエーホークスは、完全に「九州のチーム」となりました。その昔、ライオンズのファンが「永久欠名運動」まで起こして身売りや所沢移転に反対したり、ダイエー身売りが決まった時に、難波のファンが涙を流して反対の署名運動をしたり、ホークス、そして九州には、数々の「別れ」がありました。あんな悲しい想いを二度としなくて済むように、今のホークスには、精一杯頑張って欲しいと、心から思っております。今のホークスファンには、旧ライオンズファンや、私たち旧南海ファンが味わったつらい経験を、味わって欲しくはありません。鷹は、やっぱり球場で羽ばたくべきものですから・・・。鷹を「思い出」にするのは、南海ファンだけで充分なのです。

 私は、今のホークスを否定する気など全くございませんし、鷹の名を冠したチームが日本シリーズで巨人と戦えるという事実は、とても嬉しいことだと思っています。ただ、そんな今のホークスの活躍を耳にし、更なる活躍を祈りながらも、静かに、あのころの思い出に浸りたい・・・。そして、そんな想いを共有できる方と御一緒に、心の中で、あのころの「鷹」をもう一度羽ばたかせてみたい・・・。ただ、それだけの気持ちなのです。南海ホークスに想いを馳せた、あのころの美しい思い出を、今、心静かに語り合いたいのです。そんな気持ちで、こちらのページを御覧いただけますれば幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

平成13年3月24日   
(21世紀、パ・リーグ開幕の日)
管理者  砂川 光朗