「流れを変えたい」輪の真ん中で
中条 善伸投手
弱小チームの悲哀とでも言うべきか、我ら南海ファンは1回の試合で、他チームのファンよりも多くの「ピッチャー交代」シーンに付き合わされてきました。先発投手が相手打線に捕まり、塁上が違う色のユニフォームで埋まり出すと、スタンドに陣取るファンたちも、そろそろ「覚悟」をしなければなりません。そして、とうとう敵得点ボードに「1」の数字が入るころ、マウンド付近には、まるで当たり前であるかのように「内野手の輪」ができあがるのでありました。ピッチャー交代を告げるウグイス嬢の声が球場に響くと、ファンたちはビールを買いに行ったり、トイレに出掛けたりと、思い思いに席を立ち、つかの間の「休息」をとるのです。こんなこと程度でイライラしたりヤキモキするようでは、南海ファンなど務まろうはずがありません。
そんなこんなのピッチャー交代ですが、不思議なことに、この輪の中では、よく杉浦監督の姿が見掛けられました。普通、監督というのはベンチにドーンと鎮座し、こんな時、マウンドに足を運ぶのは、どのチームでも専ら投手コーチの仕事なのですが、さすがは投手出身の監督です。時には投手コーチよりも足繁くマウンドに出てきては、にこやかな顔で、輪の1人1人に指示を出しておりました。
さて、そんな輪の中で、一人、ピシッと引き締まった顔の選手がおりました。右手にはめられたグローブが、彼の存在意味を物語っています。そう、彼こそが最晩期のホークスを支えた左腕セットアッパー、中条投手その人でありました。当時のホークスは巨人とのトレードが多く、彼も「栄光の巨人から追われ」て移籍してきた選手でしたが、そんな「過去」など微塵も感じさせない強さを持っていました。
守護神である井上投手が登板する時とは異なり、彼がマウンドに上がる時、たいていは逼迫した戦況にありました。「あと1本」で試合の流れがガラリと変わろうとする中、両チームの選手が、ファンが、固唾をのんで彼の投球練習を見つめています。そう、彼にとっての「野球の試合」とは、限りなく緊迫し、薄氷を踏むような時間の連続だったのです。
それにしても、彼はタフでした。昨日はワンポイント、今日はロング・リリーフと、およそプロ野球選手とは思えない細い身体の、一体どこにそんなエネルギーがあるのか・・・と思うくらい、連日、しかも緊迫した場面にばかり登場してきました。
「因果よのぉ、中条は・・・。巨人を捨てられたってぇのに、南海でもこんな状況でしか仕事させて貰えん・・・。そう思わんかい? 応援団の兄ちゃんよぉ・・・。だから、しっかり応援したれぇよ・・・」 ボロボロの緑帽子をかぶった初老の男性が、遠くのマウンドを見つめながら、そう声を掛けてきます。
「ハァ、そうですねぇ・・・」私も、頷くしかありません。
彼は、そんな状況を見事に抑えてくれることもありましたし、かえって火に油を注ぎ、さらに若い投手へとマウンドを託すこともありました。それでも、次の日、試合がもつれてくると、またいつものように、マウンドの上におりました。
「中条さんと先生(矢野投手のこと)がいないと、ウチは試合ができないな・・・。今日の中条さんは、中18時間だし・・・」
仲間ウチでそんな悲しい冗談を交わせるくらい、タフな鉄腕投手だったのです。「流れを変えたい」輪の真ん中で、彼は今日も鋭い視線をホームベースへと向けていたのでした。