イニングの隙間に咲く大器
若井 基安内野手




 12球団すべてのチームが、ひとしく「夢」を見られる1カ月・・・。それが「オープン戦」です。主力選手たちがゆっくりと仕上げてくるためか、考えられないような得点差で、いとも簡単に弱小チームに負けてしまう強豪チーム・・・。そんな強豪チーム相手に、生き生きと躍る弱小チームの若駒たち・・・。そして、そんな溌剌とした姿に「優勝へのはかない夢」を見るファン・・・。この当時、強豪チームとは、いうまでもなく西武や巨人などであり、弱小チームとは南海や大洋、ロッテなのでありました。
 この年の春、我らが南海ファンも、そんな「夢」を見ていました。現役メジャーリーガーであるバナザードの獲得に加え、投の豊彦に打の若井・・・。優勝戦線までは言い過ぎにしても、上位イジメからAクラス戦線に殴り込めるだけの期待は、充分に持てるものがあったのです。そして、これをバネに、囁かれる身売りの噂を一気に叩きつぶしたい・・・。特に、まさしく、溌剌とした「若」駒であった若井選手の非凡なバッティング・センスは、ファンの夢をより一層大きく、豊かなものへと膨らませました。
 しかし、プロ野球の世界というものは、決してそんなに甘いものではありません。元々「難あり」と指摘されていた守備力の脆さが、試合の随所に暗い影を落とし始めました。やがて、そうした影は、やがて彼の「真骨頂」であった打撃力にまで悪影響を及ぼし始めます。ペナントレースも開幕し、ホークスがファンの願いもむなしく「Bクラスの定位置」に陣取り始めるころには、スタメンの内野陣も、バナザード以外、昨年と何ら代わりばえしないようなものとなっていました。
 それでも、彼には大きな期待がかけられていました。2軍に落とされることもありましたが、1軍ベンチを覗けば、たいてい、厳しい目で戦況を見守る「若駒」の姿を見つけることができました。これからの南海を背負う逸材として、何としてでも成長し、何としてでも活躍しなければならない使命があったのです。もちろん、1軍にいるからというだけでは、試合に出ることなどできるわけもありません。でも、彼はほとんど毎回、グラウンドに立ち、ファンにその姿を見せました。
 攻撃が終わり、味方選手が守備につくころ、その「若駒」も自分のグラブを持ってベンチを飛び出します。スタンドからは、毎回、ガメに匹敵するくらいの黄色い声援が上がりました。そして、球審からプレーボールのコールが掛かるまでの間、ファウルグラウンドに立ってレフトの選手とキャッチボールをし、敵バッターがボックスに入るころ、何もなかったかのようにベンチへ下がる・・・。結局、スコアブックには名前が出ないまま、毎回、外野手のウォーミングアップの相手だけを務めて、試合は終わりました。
 パッと見、守備力に脆さがあるようには思えませんでした。キャッチボールの球筋は鋭かったし、肩もよさそうでした。でも、試合に出ている時に限って、いい姿が見えませんでした。むしろ、痛いミスばかりが目につきました。レギュラーの座は遠のき、即戦力と謳われた大型内野手は、首脳陣からもファンからも、いつしか「左の代打」というようなイメージへと変わっていったのです。事実、こういう形で出てくると、これまた実にいい仕事をしました。球団がダイエーに変わってしばらく後、登録ポジションも外野に変わっています。
 若井選手というと、やはり「バットマン」のイメージ、そして思い出ばかりが色濃く残っています。これは、博多のホークスファンも同じことでありましょう。バットで私たちを喜ばせてくれた選手ですから、当たり前のことかも知れません。しかし、彼がまだ、本当の「若駒」であったころ、イニングの隙間に、グラブを持ってグラウンドに飛び出していった初々しい溌剌さも、彼の真実であり、美しい姿なのです。複雑な想いで黄色い声援を浴びつつ、彼がファウルグラウンドから虎視眈々と狙っていたのは、決して「代打の切り札」ではなかったはずですから・・・。