やっと見つけた「パパの西武球場」
辻 発彦守備・走塁コーチ(ヤクルトスワローズ)
いただいた日:平成13年6月17日
いただいた場所:西武第二球場
「すごいですよ! 今日の先発、西崎なんですよ! あの西崎です!」
ブルブル震える携帯から聞こえてきた声の主は、Dスケくんでした。
「ニシザキ? ハァ? 今日は田之上と晋吾だろうが?」
パパの受け答えは、明らかに不機嫌そのものです。それもそのはず・・・、せっかくの日曜日であるにも関わらず、パパにはどうしても外せない所用ができてしまい、マリンスタジアムへ行くことができません。しかも、パパを除く家族全員は、そのマリンスタジアムでホークスの応援です。昔、一緒にホークスを応援した旧友にも会いたかったのに、マリンでの戦いが始まったちょうどそのころ、パパは、重いカバンを手に、幕張から遠く離れた、西東京の某地に来ていたのでした。これですもん、パパの機嫌も悪くなると言うものです。ケロなんかは、マリンに行けるモンだから、前日から気合い入りっぱなしだったし・・・。
ところが、そんな不機嫌な返答をよそに、携帯からは、Dスケくんの熱い声が聞こえてきます。
「違いますよ。今日はマリンじゃなくて西武第二ですよ。今来てるんです! 西崎ですよ西崎! ヤクルトはニューマンなんです。面白いですよぉ!」
「ン? そうか! イースタンか! 考えてなかったなぁ・・・」
遥か昔の少年時代、鉄道オタクで鳴らしたパパにとって、今いる場所から所沢まで、1時間かからないことなど、すぐに計算できました。幕張までは間に合わなくとも、所沢であれば、ちょっとは「野球観戦」ができるに違いありません。パパの心の中に住む「野球虫」が、たちまち大騒ぎを始めました。
「ヨシ、わかった! 西武第二だな? 近くにいるから、用が済んだらすぐ行くよ・・・」
てなワケで、日曜日の午後、所用を済ませたパパは、それこそ何年ぶりに西武球場前駅に降り立っていました。独身のころ、負け続ける南海ホークスを応援するためだけに、2日とおかず降り立ったこの駅にも、今ではすっかり御無沙汰していました。西武球場がドームになったことは知っていましたが、この目で見るのは、実は、この日が初めてだったのです。
改札を出たパパは、ハッと立ち止まりました。一瞬、違う場所に来たかのような、そんな錯覚に陥りました。駅前にそびえるドームの屋根は、パパにとってあまりにも綺麗で、あまりにも異様だったのです。あのころ、気合いに満ちて駅前から見上げた西武球場とは、全く違うものが、そこにはそびえ立っていました。
パパは、役目を終えたまま外野スタンド後ろに取り残されている照明灯を、何ともいえぬ想いで眺めていました。かろうじて残った照明灯だけが、パパにとって、そこが西武球場であったことを教えてくれていたのです。
「そう、時代は変わったんだ・・・」
パパは、そんな風景を横目に、駐車場を横切って行きます。あのころ、王者ライオンズの前に、手も足も出なかったホークスは、今や、ライオンズを完膚なきまで叩けるチームになりました。ライオンズだって、背番号18といったら松坂大輔! オリエント・エクスプレスの異名をとった郭泰源ではありません。球場も、選手も、チームも、すべてが新しくなったのです。そんな中で、パパは一人、時代に取り残されていたのでした。
駐車場の奥にある階段を上って行くと、目の前に第二球場が広がってきます。試合はもう中盤戦なのでしょうか? ヤクルトのマウンドには、すでに若手ピッチャーが登っておりました。
「ここだけは、そんなに変わってないなぁ・・・」
パパは、ホンの少し、自分の居場所が見つかったような気分で、ホッとしながらネット裏へと歩いて行きます。二軍戦とは言え、今日は日曜日。多くのファンが、フェンスの際で試合を楽しんでおりました。三塁ベンチ横には、Dスケくんの姿も見えます。
「いやぁ、よかったですよニューマン。それに、西崎はまだ降りてません。ヤクルトの本郷も、いいバッターですねぇ! 楽しみだなぁ・・・」
さすがはDスケくん! しっかりチェックしています。パパも、どっかりと腰を下ろして、目の前で繰り広げられる試合を眺めます。仕事で使うために持ってきていたカメラで、選手の雄姿を狙ったりもしていました。
ライオンズのマウンドには、パパが南海を死ぬほど応援していた時に、これまたしびれるような投球を披露していた、あの若きエース、西崎幸広が立っていました。時の流れでしょうか、すっかりベテランの風格を漂わせていましたが、あの男前さは、今も変わりません。しかし、彼の着ているユニフォームはライオンズ・・・。鮮やかなオレンジに彩られた、ファイターズのものではないのです。彼が対峙する若手選手も「今」を生きる選手ばかり・・・。当たり前といえば当たり前な話で、パパも、そんなノスタルジーに浸るために来たのではありませんが、駅前にそびえるドームの大きな屋根を見た瞬間から、何とも拭いきれない「疎外感」があったのです。パパの心の中にある「所沢に行く」という言葉のイメージとは、あまりにも違う今の所沢・・・。無意味だとはわかっていても、心のどこかで探し、そして期待してしまう、あの時の所沢・・・。日ごろ頻繁に足を運ぶ東京ドームやマリンスタジアムにいる時には忘れかけていた感傷が、パパを襲います。思い出を、思い出として割り切れない自分が、パパには情けなく思えました。
そんな時です。Dスケくんが笑顔でこう言い出しました。
「凄いッスよぉ辻サン! さっきなんか手ぇグルグル回しちゃって。張り切ってますよぉ! でも、辻サン、コーチになってもカッコいいなぁ・・・」
「えっ? ツジ?」
「はぁ・・・。そこに立ってるじゃないスか・・・」
「あ、ホントだ! 辻だ・・・」
パパの目の前、三塁コーチボックスに立っていたのは、ヤクルト二軍で、守備・走塁コーチを務める、辻発彦だったのです。そう! あの時、屋根のない西武球場で、さんざんホークス野手陣の巧打を遮られた、あのライオンズの名手、辻発彦が、そこに立っていたのです。
「辻・・・だぁ・・・」
パパは、探そうとしても探されなかったものをやっと見つけた子どものような気持ちになりました。沈みかけていた心が、グングン明るく、花開いて行きます。
「Dスケ、辻だぜ! ホラ、辻だよぉ。いやぁ、アイツにはやられたなぁ。いやぁ、すっげえ上手くてさぁ、抜けたって思ったら、スルッと捕って一塁投げやんの。いやぁ、アイツには、ホント泣かされたぁ・・・いつもだぜ! いつも・・・」
パパは、憎まれ口を叩きながらも、笑顔いっぱいでありました。隣のDスケくんは、「またジジイの講釈が始まった」みたいなしかめっ顔で、ハイハイと聞き流しています。
やっと見つけた「パパの西武球場」は、本球場からちょっと奥まった第二球場の三塁コーチボックスに、しっかりと残っていたのです。確かにあの時は、これ以上にないほど憎い「敵」でした。でも、今は、これ以上にないほど懐かしい「香り」なのです。パパは、嬉しくて仕方ありませんでした。
試合後、Dスケくんが持ってきたカードとペンをさっさと奪って、サインもらいの行列に並んだのは、言うまでもありません。
家に帰ると、マリンへ出掛けたケロやママたちも、笑顔いっぱいでありました。「あのねぇ、ホークス、負けちゃったんだ。でも、面白かったよ!」「久しぶりだったから、楽しかったわ。負けだったけど、いい試合だったよ!」
「そうか、よかったな! じゃあケロ、今度は東京ドームで、一緒にホークス応援するか!」
「ウン! 行こ行こ!」
中身はそれぞれ違いましたが、マリンに出掛けたケロやママにとっても、マリンに行けなかったパパにとっても、最高に素敵なものを見つけられた、楽しい「野球の日曜日」でありました。
この日、いただいたサイン(パパ・スワローズ分)
辻コーチ・岡林コーチ・角コーチ・高木投手・ニューマン投手・平本投手
鎌田投手・三上投手・米野捕手・細見捕手・本郷内野手・畠山内野手
大山内野手・佐藤外野手
もどる