時を越えて接した笑顔
荘 勝雄投手コーチ(千葉ロッテマリーンズ)
いただいた日:平成13年5月4日
いただいた場所:千葉マリンスタジアム
怪我で戦線を離脱していたエース黒木が復活登板・・・。マリーンズファンにとっては、これ以上嬉しいことなどあるハズがありません。しかも、ゴールデン・ウィークの真っ最中で、おまけにポカポカ陽気の晴天・・・となれば、球場に足を運びたくなるのも、当たり前のことでしょう。
そんな朝、パパは、いても立ってもいられなくなって、お昼前、一人でそそくさと家を後にします。今日は1人! 思うがままに、の〜んびり寝っころがって、ジョニー対ブルーサンダー打線の激闘でも見せてもらおうか・・・。
ところが、そんな思いは、幕張本郷の駅に着いた時点で、無残にもブッ飛んだのでありました。とにかくすごい、人、人、人・・・。バス乗り場には長蛇の列ができ、マリンスタジアムのジャンパーを着たお兄ちゃんが、ハンディースピーカーで、盛んに当日指定席券の売り切れを告げています。これじゃあ、まるで巨人戦じゃないかよぉ・・・。
かくして、ギュウ詰めのバスでやっと球場にたどり着いた時には、試合はすでに始まっておりました。しかも、座席が・・・ない! あっちでペコペコ、こっちでペコペコ、頭を下げて席探し・・・。寝っころがるなんて、とんでもない! 今日のパパは、やっと見つけた席で、姿勢正しく野球観戦・・・なのであります。
それにしても、ジョニーの素晴らしいこと! パパは個人的にオリックスも大好きですが、今日ばかりは、ロッテの応援に徹した方がよさそうです。闘志あふれるピッチングを繰り広げるたびに、スタンドから沸き起こる嵐のような歓声と拍手・・・。おい、これはパ・リーグの試合だぜ! しかも、ロッテが主催のゲームだぜ・・・! パパは、ぼんやりとプレーを眺め、いつものエビスビールでノドを潤しながら、ふと視線を上空に泳がし、あのころの思い出に、一人ふけっておりました。
それは、川崎球場のロッテ・南海戦・・・。川崎なら、日曜日でも余裕で寝っころがって試合が見られました。外野スタンドに座っていても、内野スタンドに陣取るオッチャンの、キッツ〜いヤジがよく聞こえましたし、そんなヤジを楽しみながら、20分に1回くらいしか回ってこないビール売りのお姉ちゃんをすかさず捕まえ、お世辞にも「冷えている」とはいえないビールを買ってましたっけ・・・。
グラウンドには、弱いロッテと、弱い南海・・・。弱い者同士だからこそ、接戦のシーソーゲームが続きました。両チームの先発は、決まって中盤になると打ち込まれ、次々と若手投手がマウンドに立ちます。そんな若手投手も、これまた決まって南海門田、ロッテ有藤の餌食になり、決着がつくころには、もう、日が暮れようとしていました。
夕暮れの中、閑散としたスタンドを後にする時、選手の駐車場を平気で横切り、駅へと向かいます。当時もきっと、そこには警備員がいたはずなのですが、パパの記憶のどこを探しても「警備員を見掛けた記憶」は出てきませんでした。それだけ、ノンキでのどかなものだったのでしょう。着替えを済ませて出てきた選手と鉢合わせになることもありました。村田・西村・高沢・愛甲・水上・・・。錚々たるロッテ戦士たちが、続々と球場を後にして行きます。「お疲れさんでしたぁ!」・・・若かりしころのパパは、まるで関係者が選手に掛けるような挨拶を送り、一人、粋がっておりました。サインをしてもらうこともありましたが、「常連」ぶっている手前、友人がいる時には、ホイホイとサインをしてもらう勇気などありません。でも、やっぱり挨拶だけはしていたのです。
当時、大エース村田の陰に隠れながらも、荘投手の活躍は、ロッテになくてはならないものでした。コンスタントに2ケタ勝利を挙げ、立派にローテーションを支え続けました。それだけの実績と強さを持った大投手でしたが、声を掛ければ、いつもあの人なつこい笑顔で応えて下さいました。
あれから10余年・・・。フランチャイズを千葉に移したロッテは、今、スタンドをぎっしりと埋めた大観衆の中でプレーしています。12球団一と謳われる外野スタンドの応援だけでなく、球場の内と外、どこを見回しても、川崎の、そしてロッテオリオンズの匂いなど、少しも感じられません。嬉しいような、そして、ちょっと寂しいような想いで、その光景を眺めているのは、パパだけなのでしょうか?
ジョニーの好投でロッテがオリックスを破り、観客のほとんどが球場を後にしたころ、選手も続々と家路につきます。でも、そこにはビッシリと並べられた立入禁止フェンスと、無数の警備員たち・・・。あの時と同じように、気楽に選手へ声などを掛けることもできなくなりました。これも、チームに人気が出て、心ないファンもちらちら出始めてきた以上、仕方のないことなのですが・・・。
日がすっかり暮れ、そんなフェンスがやっと取り外されるころ、もう、球場にはほとんど誰も残っていません。静まり返った球場からは、最後まで練習やマッサージに居残った選手や関係者だけが、ポツリ、ポツリと出てくるだけです。周りの高層ビル群から漏れる窓の光が、夜空に幻想的なムードを醸し出しています。
そんな中、その日最後の最後に球場を出てきたのは、投手コーチであり、コンディショニング担当でもある荘コーチ。きっと、試合後もずっと選手のケアに駆け回っていたのでしょう。それなら、間違いなくお疲れのハズ・・・。でも、何人も残っていないファンの声が耳に届くと、わざわざ車を止め、サインを始めて下さったのです。その笑顔は、パパが昼間、スタンドで思い出していた、川崎のころの思い出と全然変わらないものでした。パパは、カードを出すのをやめ、代わりに、自分がかぶっていた、オリオンズの帽子を差し出しました。川崎の最後の思い出として、パパがマリンスタジアムにロッテの応援をしに行く時には、必ずかぶる帽子です。
彼は、その帽子を受け取ると、「懐かしいなぁ・・・」と笑顔で言って下さいました。そして、「表でいいの?」と気を使って下さり、サインをしてもらったのです。選手仕様の帽子ということで、確かに貴重なものかも知れません。かぶって外歩きなどせず、サイドボードにきちんと飾るべきものなのかも知れません。ましてや、サインを入れてもらうなんて・・・。
しかし、それでいいんです。パパがこの帽子をかぶるのは、いつまでも、あのころのロッテを、我らが南海と必死に戦いを繰り広げた好敵手であるロッテオリオンズを、心の中にとどめておきたいから・・・。それなら、その時、その屋台骨を必死で支え続けた「小さな大投手」の、あの人なつこい笑顔が一緒に輝いてくれてもいい・・・そう、思ったからです。時代は変わり、環境が変わっても、変わらないものが絶対にあるものです。今のマリーンズは素晴らしい。でも、どこかの片隅にでも、川崎の「匂い」が残っていて欲しい・・・。そんな想いを、ほんのちょっとだけかなえてくれたのが、荘コーチの「笑顔」なのでありました。
今のマリーンズファンが、勲章として帽子に飾る「ピンバッジ」と同じく、パパはこれからもずっと、この「笑顔の勲章」を頭にかぶり、限りない川崎の思い出を胸に、マリンスタジアムへと足を運ぶことでしょう。
この日、いただいたサイン(パパ)
荘コーチ・小坂内野手・福浦内野手
もどる