福岡ダイエー ホークス
濃緑NH帽子・白天ボタン型



使用期間 昭和59年〜昭和60年

展示No. H07
中央帽子製 球団承認タグ付き市販帽子

 野村監督解任事件の後、広瀬、ブレイザーと、ホークス監督は次々に代わりましたが、成績は低迷を続け、やがてちらほらと「身売りの噂」が聞かれるようになりました。そんな時期、球団が起死回生を狙って起用したのが、当時、二軍で若手をビシビシ鍛え上げていた穴吹監督。往年の栄光を知る人物に、ホークス再建を託したのです。これと同時に、ユニフォームも「古き良き」時代の濃緑色を復活! オールド・ファンには懐かしい、あの「緑色」が、グラウンドに還ってきたのです。
 穴吹監督時代、ホークスは若手選手も次々と登場し、再建への足音が聞こえ始めたかに思えましたが、投手を中心とした主力選手は精彩を欠き、故障者も続出しました。名手藤原の後を継いで背番号7を背負い、明日のホークスを担うはずであった久保寺内野手が急逝したのも、ちょうどこの時期のことでした。穴吹ホークスは、満足な戦力には程遠いまま戦った結果、Bクラスを脱することができず、2年後、杉浦さんへとバトンタッチされます。「ホークス身売り説」が、いよいよ現実味のある話として囁かれ始めたころのことでありました。
 この時期の帽子は、天ボタンの色が白である以外、基本的には最終期(杉浦監督時代)の帽子と同デザインです。白星を追求しながら、それを為し得ることができなかった、そんな穴吹監督の想いが、この天ボタンの色から感じ取れる・・・といったら、考え過ぎでしょうか?



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