学芸員のひとり言(その2)
ワッペンマーク徹底研究


 帽子にあしらわれている球団マークが、昭和50年代に差し掛かるころ(1970年代前半ごろ)まで、ワッペン帽子が主流であったことは前項で触れましたが、実際、そうしたワッペンがどのようなものであったかは、イマイチわからないことも多いものです。そこでここでは、その”ワッペン”に絞って、掘り下げて見て行くことにしましょう。

 これらのワッペンは、基本的にあくまで”帽子の付属物”であることもあり、このワッペン自体が単体で販売されるケースは極めて少なかったはずです。従って、残念なことに、これらのワッペンについては帽子以上に入手が難しくなってきていますが、あちこち探し回って集めてきたワッペンを見てみると、やはりオーソドックスな球団マークが一番多く、特に関東の場合、量やバリエーションともに、圧倒的に巨人のマークが多かったようです。
 ただ、それぞれのマークのデザインを見る限り、かなり真剣に探し回ったにも関わらず、ほとんどが1970年代までのマークであり、1980年代以降のデザインのワッペンはまず見つけることができませんでした。たとえば上段にあるライオンズの場合、太平洋クラブのワッペンは何とか見つけることができても、レオの横顔が描かれた西武のワッペンは全然出てきませんし、下段にある大洋に関しても、横浜大洋のWマークはかなり数少ないのが実情です。こうした状況を踏まえて考えると、これはすなわち「ワッペン帽子自体が1980年代に入るころにはほぼ廃れていた」ということを意味するように思います。後ほど取り上げる「承認タグ」が付いた帽子も。現実には圧倒的に刺繍マークばかりであり、ワッペン帽子では(ゼロではありませんが)圧倒的に少ない・・・ということからも、ワッペン帽子から刺繍帽子への切り替わりは、意匠やデザインに関する球団の管理が少しずつ本格化してくるころと時期を同じくしているのかも知れませんね。
 
 そうした意匠権その他の管理が、少なくとも1970年代まではユルユルだったことから、同じ球団マークでも、配色順がさり気なく違っていたりするのはザラで、左側の南海ロゴの写真でもわかる通り、同じ時期のものでも、全然雰囲気が違う色づかいのものが平然と存在していました。色づかいとしては左側のものが正解で、右側の配色に関しては(少なくとも実際の選手がかぶる帽子としては)一度も採用されたことがないものです。ま、そういうところも実に大らかだった・・・ということになりますよね。

 それでは、実際にワッペンを裏返してみましょう。素材はどれも概ね硬めのフェルト生地で作られていますが、裏側はこうして切り抜いた形のままになっています。帽子には、このワッペンを縫い付けるものと貼り付けるものが存在しており、どちらかといえば後者の方が数多く残っています。帽子屋さんの老主人に確かめたところ「自分たちでワッペンを縫い付けて販売したことはあるけれど、接着して販売した記憶は一度もない。最初からマークが取り付けられて仕入れたものは、圧倒的に接着されたものだったはずだ」ということでしたので、メーカーの段階でマークが取り付けられていたものには、(特にワッペン帽子の最晩期においては)接着されていたものも少なくなかったと考えてよさそうです。これには「バッジ替え」という、当時の子どもたちにとっては堪らなく嬉しい”ドキドキの儀式”が関係してくるのですが、これについては後項で改めて取り上げさせていただくことにしますね。

    

 さて、せっかくの機会ですので、イレギュラーなデザインのワッペンに関しても見て行くことにしましょう。こうなると、最初にも述べさせていただきました通り、圧倒的に巨人のものが多いので、ここでは巨人のワッペンの中から幾つか取り上げさせていただきたいと思います。
 巨人のワッペンで、やはり一番多いのが、当時のキャラクターである「Mr.ジャイアンツ」を盛り込んだものですよね。上の写真の左側に写っている2枚のワッペンが、それになります。大きさも違えば顔の向きも違う・・・という点で、ほぼ球団の承認を得たものではないことは容易に推察がつきます(苦笑)が、いずれにしても当時の子どもたちにとっては、あまりに有名過ぎるキャラクターでしたので、ワッペンもこのように様々な種類が作られたのかも知れません。
 ただ、こうしたキャラクター系のワッペンが、当時のすべての子どもたちに受け入れられたか・・・というと、正直なところ、ちょっと微妙のような気がします。実際、幼児であればともかく、小学校も3〜4年生になりますと、ちょっと幼稚っぽくて恥ずかしかったような記憶もありますし、どうせ付けるのであれば、選手と同じロゴを付けたい・・・という気持ちを持っていたことも事実ですから(苦笑)。
 また、素材でいえば、フェルト地のもの以外に、プラスチック製のものも存在していました。それが上の写真にある右側の2枚です。小学生にとっては、間違いなくこちらの方がカッコよく見えたハズで、こうしたワッペンを付けた帽子をかぶっている子どもは、それだけで充分に威張れるものでした(笑)。従って、こうしたものの中には、より「ラグジュアリー感」をくすぐるものも存在していたのです。右の写真をご覧いただくとわかる通り、見る角度によって、中の写真が王になったり長嶋になったりする・・・という、子どもにとっては「あまりにカッコよ過ぎる」ワッペンも存在していたのでありました。たかがワッペン・・・ではありますが、当時の子どもたちにとっては、それほど大きく、絶対的な意味を持つ「勲章」だったのです。

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