1ねん3くみ
カエルがいなけりゃ、ザリガニもいない・・・?

PTAルーム

 アメリカザリガニの歴史に関して調べる際、やはり、きちんと踏まえておかねばならないのが、彼らが日本に初めて持ち込まれた当時における、日本国内の「食糧事情」であろうかと思います。今の子どもたちにはなかなか理解しづらい部分もあろうかと思いますが、我が国の食糧事情が本当に安定したのは昭和40年代以降の話であり、それ以前の我が国は、常に「国民の腹を、どう満たすか?」という大きな命題が政府に突きつけられていたといっても過言ではありません。現在、日本に棲息している外来ザリガニは、こうした時代背景が大きく関与しているのです。
 アメリカザリガニもウチダザリガニも、原産地は北アメリカ大陸、アメリカ合衆国ですが、ウチダザリガニがそのまま「人間が食べるための新しい食糧候補」で輸入されたのに対し、アメリカザリガニは「それ自体を食べるため」ではなく、当時、ウチダザリガニと同じように食糧目的で導入され、研究が続けられていたウシガエル(食用ガエル)の餌として持ち込まれたものでした。当時、太平洋を横断するための輸送手段は、当然のことながら船しかないため、彼らも船で運んだのですが、記録によると、200匹近く積み込んで出航したものの、長い船旅と過酷な環境で、日本に到着した時には20匹程度しか生き残っていなかったそうです。
 そうやって日本に持ち込まれたアメリカザリガニは、さっそく大船(現在の神奈川県鎌倉市)の養殖研究現場へと持ち込まれ、ある程度殖やした後に餌として用いられるようになりますが、その後、ほどなく戦争が勃発したこともあり、養殖事業自体が頓挫してしまう道を歩みました。管理の不備や大雨などによって施設から逃げ出したザリガニたちが、その後、徐々に周辺地域へと広がり始めました。元々、気候的に充分な環境である上に、彼らが生存するために好適な環境であった水田が日本に多く存在していたことに加え、食糧不足や物珍しさなどもあってか、人の手による移動も加わり、約30年間程度の短い期間で日本各地へ一気に伝播して行くのです。
 ちなみに、一部の地域では「アメリカザリガニはアメリカ軍が日本人を殺すためにアメリカから持ってきて、B29で爆弾と一緒に落として行った」という伝説が残っています。もちろん、これは何ら根拠がなく、また、そうした記録も残っていませんが、なぜ、アメリカザリガニが、ある種の「生物兵器」的な扱いをされたのかというと、彼ら自体が「肺臓ジストマの中間寄宿主である」という側面があるからではないかと思われます。
 エビを始めとした魚介類を生のまま食べる習慣を持つ日本人は、ここまで立派な「エビ」を見れば、当然ながら刺身にしたりタタキにしたりして食べたであろうことも想像に難くありません。加熱すれば全く問題なく食べられるザリガニも、生のままで食べると感染の可能性があり、実際、発病してしまう人もゼロではなかったはずです。必死にアメリカと戦い、様々な被害を受けた記憶が鮮明に残っている当時の人々からすれば、この「アメリカ」という名前のついたエビ自体、非常に大きなマイナス感情を喚起させるものであり、「アメリカのエビを食べた人が病気になった。これは毒だ。きっとアメリカ軍が日本人を殺すために持って来たに違いない」・・・という感覚になったとしても、決して不思議な話ではないといえるでしょう。悲しい時代ならではの、本当に皮肉な話でもあるのです。
 「世界でも一、二を争うエビ消費国である日本人がザリガニをほとんど食べない」という事実は、海外の専門家の多くが首を傾げる有名な話ですが、もしかしたら、こうした時代的社会背景も、その理由の1つにあるのかも知れません。