佳人薄命の定めだから・・・
〜 ブサイクは我が身を救う? 〜



(五反田にて)


 夭折の美学・・・というと少々おかしいかも知れませんが、どういうワケか日本には、古くから「佳人(美人)薄命」という言葉があり、それによると容姿の美しきものは、どうやら薄幸または短命な人生を歩む・・・らしいのです。私などは身も心も不細工なので、まぁ、その点では少しホッとしているのですが・・・。
 さて、水切りまゆ毛にHゴムで固められた「ベタ顔」揃いだった最晩期宇都宮区のカマたちは、私たちカマ屋からしても、イマイチ気分の乗らないものばかりではありましたが、高崎二区のカマが絶滅し、東海道筋のゴハチが定期運用を終えるころと、もはやああだこうだと贅沢を言っていられる状態ではなくなってきました。とりあえず、ゴハチ牽引のスジは全部、押さえておかなきゃ・・・と。
 品川で回2033レを見送った後、特にめぼしい臨スジがない日には、しばらく時間をつぶしてから、山貨のどこかで荷2634レを迎え撃つのが、当時のカマ屋たちの日課でありました。隅田川から横浜羽沢までの区間列車として設定されているこのスジは、田端操で一瞬プッシュプルになるなど、それなりに面白いスジではあったものの、所詮は宇ガマにパレット主体の短編成・・・。個性あるカマがSGビンビンに噴きつつ疾走していた東海道筋の荷レほどの魅力には到底及ばなかったのです。
 駒込や新大久保、恵比寿といった編成写真の撮れる場所まで移動する力も湧かず、今日は五反田でお茶を濁そうかと待ち構えていると、やってきたのは最悪の122号機・・・。

「チェッ、パンダかよぉ・・・」

 遠くから見えるカマの姿、特に、何ともアンバランスな表情に落胆しながらも、とりあえずカメラを構えます。何とも恥ずかしそうに通過するパンダ・・・。
 この122号機、基本的には「ありがち」な宇都宮顔なのですが、どういうワケか第1エンドの運転席側だけ、Hゴムの色が白(2エンド側は両方とも黒Hでした)だったのです。デフロスタ未装着機で、窓周りがすっきりしていた分、余計に「ブサイク」であり、カマ屋たちはパンダ、パンダ・・・と蔑みました。

 やがて、宇都宮のゴハチも壊滅し、首都圏からゴハチの定期運用が消えてから20年後までこのカマが生き抜くことになるとは、この時、誰も予想だにしていなかったのです。そういえば、関東地区で最後まで定期スジを持っていたのも、ベタ顔揃いの宇都宮区だったし・・・。やっぱり「佳人薄命」というのは、本当だったのかも知れません。

 


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