20年目の再会
〜 EF64 1021号機(高崎機関区) 〜
(東北本線 田端-大宮 にて)
昔、寝食を忘れて没頭した熱い、熱いカマ屋だったころ、最後の最後に興味を持って追っていたのは、「現代」の香りをいっぱいに漂わせていた最新鋭のカマ、EF64-1000でありました。上越国境から、そして東京の上野口からゴハチやEF15を追い落とし、ピカピカのボディーを誇らしそうに見せつけながら、長い長い専貨や颯爽としたブルーとレインの先頭に立ち、そして疾駆していました。今で言う「桃太郎」のような香り・・・とでも申しましょうか? とにかく、何から何まで「未来」そのものだったのです。決して嫌いではありませんでしたし、とりあえず、興味を持って追いかけてはいましたが、やはり、旧型電機世代の私にとって、ゴハチやEF15に代わるパワーを与えてくれるようなカマでなかったことは間違いありませんでした。そういう意味で考えれば、EF64-1000というカマは、私のカマ屋人生に対する「引導」を渡してくれたカマでもあったわけです。
今、昔ほどではないにせよ、悠々自適なカマ追いをしていますと、やはり、懐かしくなるのが「あのころ」なのであります。あのころ、必死になって追ったカマに、もう一度会いたい。あのころ、寒さに耐えながら、ひたすらスジの通過を待ったあの場所に、もう一度立ってみたい・・・。「このカマを追いたい」のではなく「この思い出を追いたい」という、そんな想いばかりが膨らむものでございます。そうだ、上野口に行ってみよう。モセの大カーブに立ってみよう・・・。
次の休日、東十条の駅に1人の中年オヤジが降り立ちました。そう「モセの大カーブ」に立つためです。「モセ」とは「下十条」の略称。東十条駅に隣接している京浜東北線の電車区は、昔、東京北鉄道管理局十条電車区といい「北モセ」の表記がなされていたのです。上野口で駅撮りをせず、編成を丸ごと障害なく撮影できる最も近い場所は、今も昔もやはりこの場所です。本線もあるし山貨もある。しばらく待ってりゃ、1本くらい貨レは通るだろう・・・。そんな安易な気持ちで、何も調べずにやってきたのでありました。
現役最後のころには、既に東北新幹線も開通していましたし、予想していたほど周囲の風景は変わっていなかったことに、まずはジンワリとした喜びが湧き上がってきました。「あのころ」の思い出が、どんどんと蘇ってきます。ただ、あまりに変わってしまったのが、行き交う列車たち・・・。うるさいほどに通り抜けていた115系や485系の姿は既になく、奥にごっそりたまっていたスカイブルーの103系は、メカニックな銀色の塊にとって代わられておりました。やっぱり、時は流れたのです。懐かしさに心温まりながらも、カバンの中のカメラを取り出すタイミングは、すっかり逸してしまっていたのでした。目の前を、更新色のPFが通過しているというのに・・・。
カメラも出さずに何本かの列車を見送り、そろそろ帰ろうかと駅への道を歩き始めたころ、大宮方のはるか彼方から、見慣れた2つの光が目に飛び込んできました。そう、その昔に上越国境で見た、あの光です。身体の中で、何かのスイッチが「!!」になるのがわかりました。瞬間的にカメラを取り出し、構図を取ってピントを置くと、あとはファインダー越しに「その瞬間」を待ちます。デジタル連写が当たり前の今、銀塩一発撮りでしか味わえない、まさに「手に汗握る何秒間」・・・。これが醍醐味であり、これが麻薬なのでしょう。
ファインダーの中を颯爽と駆け抜けていったのは、懐かしき旧友でありました。たった1ショットをフィルムに焼き付けると、中年オヤジは満足そうに東十条の駅へと向かいました。
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