寂寥たる関東の雪空に
〜 東海道貨物線のEF60 〜



(東海道貨物線 八丁畷にて)


 馬鹿みたいに寒い、そして横殴りの雪まで降っている冬の日に、わざわざ東京を横断して多摩川を越え、八丁畷のホームに立つということは、それは言うまでもなく、SGをガンガンに焚いたゴハチの下り荷レを撮りたいからという、それ以外にはありません。時間帯によっては、当然上りの荷レだって撮れますし、夕方前には米原ガマが牽く荷36レだってここを通過するのですが、終着寸前の区間でスチームが威勢よく焚き上げられることなど、絶対と言ってよいほど考えられないことでしょうし、やはり、汐留を出て間もない、下り荷レの「噴き加減」こそが、この時期の最も大きな関心事でもあったのです。雪空の下、ガンガンにスチームを噴き上げながらやって来るゴハチの姿は、それだけでもう、本当に「絵になる」ものでしたから・・・。
 ホームから見て、手前から3本目の線路、いわゆる「下り本線」を通過するカマは、この時期、ゴハチ以外「カス」ばかりでありました。EF65、EF66などには元より用事などありませんでしたし、この時期、EF15はすでに東海道筋の運用から追われ、一番手前の線路「南武ルート」を行き来するだけになっていました。ひっきりなしにいろんなカマが、いろんなスジを牽いてやってくる割には、本当に「撮りたい」と思わせてくれるようなスジは本当に少なかったのです。
 たくさんのゴハチ写真が刻まれたネガの中に、1枚、ちょっと変わったコマがありました。よく覗いてみると、何だか貨レのようです。興味を持って焼いてみると、パッとしない、シートを被った普通のトラが連なる解結貨物が写っていて、その先頭には、これまた冴えないブタ鼻のEF60が立っていました。本当に「何の特徴もない1枚」です。
 思えばその昔、ほんの一時期ではありましたが、このカマたちは東海道本線の「花」でありました。トラよりも遥かに重く、そして遥かに美しい20系客車を後ろに従えながら、貨物線ではない、もう1つの本線を、これ見よがしに上り下りしていたのです。乗る方も見る方も、誰もが憧れた姿だったに違いありません。しかし、後を追うように現れたEF65にその座を奪われると、二度とそこに呼び戻されることはありませんでした。その後、多客期の臨スジなどで、自分がその座を奪ったゴハチがきらびやかな特急客車の先頭に立ち、颯爽と本線を駆け抜ける姿を、彼らは側線で、雑多な貨車たちの先頭に立ち、待避しながら眺めていたのです。今思えば、こんな皮肉なシーンはなかったかも知れません。
 そんな遠い昔の栄華をそっと胸にしまいつつ、吹雪の裏街道を黙々と走るその姿は、今になって見返してみると、あのころ、必死に待っていたゴハチの姿に勝るとも劣らない、雄々しい「冬の景色」なのでありました。この雄々しい503号機は、その後JR西日本に受け継がれ、本来であれば保存機として穏やかな余生を送るはずでしたが、結局、一度も保存機としてのスポットライトを浴びぬまま、ひっそりと解体されてしまったのです。どこまでも、どこまでも皮肉なカマだったのかも知れません。

 


もどる