東京砂漠
〜 東海道貨物線のEF65 〜
(東海道貨物線 東京貨物ターミナル-塩浜操)
戦後の復興から高度経済成長へと、まさに「廃塵」から不死鳥のごとく立ち上がった凄まじい日本経済の勢いがフッとひと段落した昭和50年代後半になると、日本のあちこちに「立ち上がってみたはいいけれど・・・」というような計画や施設がドッとその姿を現し始めました。いい意味でも、悪い意味でも「勢い」任せだった計画や施設・・・。そうした勢いが強かったがゆえに、ひと波過ぎた後の「余波」には、シャレにならないものがありました。
東京の貨物の玄関、汐留駅のそのまた手前に、広大な埋め立て地を利用した「東京貨物ターミナル」駅が作られ、そこには、南から東京港トンネルを越えて列車がやってきました。そして、その脇から伸びる線路は東へと向かい、再び東京港を渡ると、片や常磐方面、片や湾岸方面へと枝分かれし、京葉臨海工業地域へとつながる「東京湾貨物ネットワーク」ができあがることになっていました。しかし・・・。
「ホントにそんな線路なんてできるのかよ? 越中島の先にある高架橋だって、ずっとそのまんまじゃんか? 亀戸の手前だって、新金線だって、複線化の気配すらないだろうが・・・」
汐留を出る貨物線経由ゴハチ荷レを最初に撮れるこのポイントでは、いつも、ファンたちがこんな会話をしていました。計画があるのは、誰もが知っていましたが、一向に進まないどころか、どんどんと草蒸して行く建設現場に、貨物輸送量減少というニュース・・・とくれば、信じろという方が、おかしな話なのでありました。まるで地平線かと思わせるほどダダッ広い貨物ターミナルの敷地には、ススキとセイタカアワダチソウの穂並みばかりが揺れています。そういえば、ここも武蔵野操車場より大きな操車場になるハズなのに・・・。
写真のはるか彼方に架線が見える下り本線を通過する、汐留発の荷35レを撮り終え、10分以上掛けてこちら上り線へ歩いてくると、今度は米原ガマ牽引の荷36レを待ちます。聞こえるのは、時折離着陸する羽田空港の旅客機と、枯れ葉の擦れる音のみ・・・。ここが、東京のド真ん中だと言われても、ピンと来るはずがありません。それだけ静かで、しかし「静寂」というよりも「荒涼」という表現の方が正しいような景色の中で、ただ、ゴハチのラスト・スパートを待っているのでありました。
ゴハチ通過まであと数分となった時、すぐ後ろの機関区から短い汽笛が聞こえたかと思うと、反対側からゴロゴロとやってきたのは、稲沢二区のEF65一般型・・・。撮影対象にすらならないザコで、おまけに単機とくれば、カメラを構える気にもなれません。でも、ふとファインダーの中を覗いてみると、あまりに荒涼な景色の中に、あまりに寂しげなカマの姿がありました。「これはこれで、絵になるじゃん・・・」
それから20年後、再びこの地を訪れてみると、目の前には大きな佐川急便のビルが建ち、スーパーレールカーゴが、走り抜けてきた体躯を休ませていました。操車場の代わりにできあがったコンテナターミナルは、それなりに賑やかなようです。しかし、ゴハチが颯爽と駆け抜けた下り本線は、もはや見る影もない「赤錆の道」へと変わり果てておりました。もちろん、ゴハチの姿も、荷レの姿もありません。当の汐留駅がないのですから、当たり前のことでしょう。
昔と今と、どっちが「砂漠」なんだろう・・・。荒涼さに身震いする想いがしたあのころの方が、物資輸送としての「動脈」は息づいていたのではないか・・・と、そんな想いさえさせられてしまいます。こんなカマがザコにしかなり得ない・・・ということ自体、時代がキラキラ輝いていた証拠なのかも知れません。
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