裏街道
〜 東海道貨物線のEF65F 〜



(東海道貨物線 東京貨タ-塩浜操・東京港トンネル出口付近にて)


「ブルートレイン・ブーム」のまっただ中、カメラを持った鉄道ファンの対象は、常にきらびやかなヘッドマークを掲げた東京区のEF65PやEF65PFであり、それに続く整然とした青い客車の列でありました。「ブルートレインにあらずば、カマに非ず」とでもいうかのように・・・。
そんな大都市・東京には、もう1本、知られざる「大幹線」がありました。川崎の手前からそっと海側へと伸びて行くその線の先には、塩浜操車場、東京貨物ターミナル、そして汐留と、東京の物資流通を担う大きな貨物駅が控え、そして、それを支えるだけの多彩な貨物列車が行き来していたのです。その名を、東海道貨物線・・・。東京の「もう1つの玄関口」なのでありました。
東海道貨物のエースといえば、当時、最強の名をほしいままにしたEF66・・・。腰が抜けるほど重い荷を背に、楽々と駆け抜けます。関東地区発着や、西局・北局方面への連絡貨物は、新鶴見のEF65PFたちがテキパキとこなしてくれます。そして、西へ向かう近距離の区間貨物は、沼津や浜松のEF60にお任せ! 雑多な貨車群を引き連れ、駅ごとに解結、連結を繰り返しながら旅を進めます。旧型機なき後も、考えようによっては、実に多彩なカマたちが「もう1本の大幹線」を行き来しておりました。
そんな中、表街道を闊歩するカマたちと同じ風体のカマが、中距離のコンテナを牽いて時折やって来ました。稲沢二区のEF65Fです。フレートライナーほど長大で重くもなく、でも、駅ごとに停まって積み降ろしとかはせず、軽やかに、でもちょっと手持ちぶさたそうに、東京港トンネルをくぐってくるのです。特急色を身にまとい、看板の留め具を装備されているのは、やはりEF65であるには違いありませんでした。でも、後ろに続くのは、青ではなく、時々列の欠ける緑色の箱たちなのでありました。
「同じカマなのに、全然違うよな。何だか可哀想になってくるよ・・・」
ゴハチの荷レを追うために待ち構えている目の前を、どこかもの悲しげに通過するEF65Fの姿を、とりあえずカメラに収めながら、ファンたちがポツリとつぶやきます。でも、その言葉の意味をかみしめることすらなく、興味は次の荷レへと移っていってしまうのでありました。最高の衣を身にまといながら、誰にも相手にされず、ひたすら裏街道を走り続けたカマ・・・。ファンの間で認められ、やっと人気が出始めたころには、もうすでに、大半の仲間が廃車となり、解体されてしまっていたのでした。

 


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