ガッチャン、ガッチャン
〜 南武支線のEF15 〜
(南武支線 八丁畷にて)
今も昔も、京浜工業地帯は日本の工業の中心であり、今も昔も川崎・横浜地区は、日本の貨物輸送の中心地です。その時代その時代の最強機、最新鋭機が重い荷を牽いて縦横無尽に駆け抜け、全国各地から、そして全国各地へと様々な荷を運びます。
当時の最強電機といえば、EH10からその座を奪ったEF66・・・。「とびうお」や、長大なフレートライナーの先頭に立ち、特急並みのスピードで駆け抜けて行く姿は、多くのファンの心を捕らえて離しません。登場して間もないEF65PFも、他の新型電機たちと混じって、ピカピカのボディーを誇示しながら、西へ、北へと重い列車を牽いて行きました。真っ黒なタンカーの車列も、PFの後ろにつくと精悍に見えてしまうのですから不思議なものです。
そんな中、中央線や青梅線方面からの貨物列車には、八王子区や立川区のEF15が充当されていました。奥多摩の石灰輸送や長野地区への石油・コンテナ輸送など、とりあえずは専貨のようなスジもなくはありませんでしたが、どういうわけか雑多な車列の普通解結貨物ばかりが目立つ印象がありました。鮮やかな編成が高速で行き交う東海道貨物線の横を、ゆっくり、ゆっくり、ガチャガチャと音を立てながら通り過ぎるその姿は、お世辞にもカッコいいとは言い難い編成であったはずです。
しかし、軟弱な現代気質の若者とは違い、敗戦の焼け跡から必死になって立ち上がってきた昭和の歴史を身体に深々と刻み込んだ老雄EF15の存在感には独特なものがありました。特に、大きなタイフォンカバーにデフロスタ、そして鋭角に突き出した無骨なスカートをはいた上越型のカマには、EF66やEF65PFがどうひっくり返っても到底追いつかない貫禄と、気高い美しさがあったのです。風雪に耐え続けた身体は軋み、後に続く古い2軸貨車たちと同じような騒々しい音を立てながらも、堂々と、そして美しく駆け続けたのでありました。
絹目のプリントに残されたこの1枚には、パンタを精一杯持ち上げて、西日を浴びながら八王子へと急ぐ雄姿が染み込まれておりました。あのころは「ついでの1枚」だったこのカット・・・。無機質な新型電機ばかりが行き交う今、こんな渋く、美しいカマを迎え、そして見送ることができたあのころの私は、本当に幸せ者でありました。
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