ニッポンの誇り
〜 東海道本線のEF65PF 〜



(東海道本線 東京にて)


「トウキョウ・ジュウイチバンセン」・・・当時のファンにとって、この響きは実に魅力的なものでした。今のように新幹線ホームが北へ南へと爆発的に増えていなかったころ、在来線のホームは13番線まであり、特に10〜13番線には、多くの遠距離列車や臨時列車が顔を出していたのです。
その中でも、唯一、乗降のためのプラットホームを持たないのが11番線でした。山手貨物線が健在なころは通過列車の抜け道として、そして、その後は専ら機回しや引き上げ回送の通り道として、独特の使われ方をしてきたのです。しかも、10番線と12番線との間には大きな障害物もなく、上り10番線ホーム着のスジなどに至っては、いながらにして充分以上の編成写真を撮ることができたのです。大船以西まで遠征できない貧乏ファンにとって、これ以上ありがたいスポットはありませんでした。
この日も、臨スジで田町から出区してくるロクイチ+サロンエキスプレスを拝むために12番線ホームで待ち構えていると、まるで露払いでもするかのように到着してきたのが、熊本からの「みずほ」・・・。「富士」「はやぶさ」ほどの人気はなく、「あさかぜ」のような伝統もなく、「さくら」のような撮りやすいダイヤでもなく、おまけに、区間は「はやぶさ」や「さくら」の一部分と完全にダブっている・・・。その上、後に続く客車も、個室や電源車など、ファンの眼から見ても魅力的な24系25形とは異なる、地味な14系寝台でありました。
これは、東京駅に集まってくる「ブルトレ大好き少年」も同じことで、「はやぶさを撮りたい」「あさかぜを待っている」という子どもたちは多くても、「みずほが好き」という声は、まず聞くことはできませんでした。これは、「みずほ」という、何とも乙女チックな響きを持つ列車名も、ちょっとは影響していることでしょう。ブルートレインの持つイメージからすれば、やっぱり同じ区間を走るなら「はやぶさ」の方に乗りたいと思ってしまいますものね!
そんなこんなでありましたから、この列車は、メインになりそうでなり得ない、少し可哀想な存在だったのかも知れません。考えてみれば、列車の誕生経緯自体が、そうした臨スジ上がりのようなものであったことも確かですが、時代が流れ、牽引機がEF66へと変わり、ブルトレ自体の乗車率が下がる中、反対運動すら起こることなく、ひっそりと消えて行きました。
「みずほ」とは「瑞穂」のこと・・・。麗らかな秋の光に映える、みずみずしい稲穂を意味します。まさに、我が国ニッポンの、私たち日本人の喜びを表した、素晴らしい列車名だったのではないでしょうか? 日本が世界に誇れるのは「富士」の美しさだけではなく、「みずほ」の豊かな波・・・でもあるのです。日本一誇らしい、日本一素晴らしい列車名を冠したこのブルートレインは、決して「脇役」でも「添え物」でもないはずなのでした。
最近、たまに時刻表をチラッと覗くと、そこには、意味不明な横文字の列車名が躍っているのを目にする機会が増えてきました。確かに響きだけは心地よいかも知れません。カッコいいかも知れません。でも、本当に素晴らしい名前というものを、私たちはどこかに置き忘れてしまっているのではないか・・・? とも思えてならないのです。
今は東北・上越方面新幹線ホームに覆い尽くされてしまった旧12番線ホームからは、毎日、こんな素晴らしい名前を付けた列車の到着を眺めることができたのでありました。あれほど無粋で、下品に見えた14系客車の電源排気も、どことなく懐かしく思えるのが不思議です。

 


もどる