全力疾走の美学
〜 南武支線のDD13 〜



(南武線 尻手にて)


 東京機関区といえば、ブルトレ牽引機の根城であり、御本尊ロクイチ様を始め、多くのゴハチ名機たちがその身を置いた名門中の名門ですが、その名門機関区から少し離れた新幹線の線路向こうに、架線の張られていない小さな機関区がありました。その名を「品川機関区」・・・。ファンの間で「シナキ」と略称されたその小さな城には、近隣の操車場や客貨車区での入換作業に従事するためのディーゼル機関車たちが住みついておりました。ディーゼル機といっても、圧倒的な存在感を持つ本線用のDD51やDF50ならともかく、大きさも迫力もホドホドのDD13やDE10たちばかりの所帯ですから、注目されようはずもありません。品川駅などで暇つぶしをしていれば、寝台車の入換にチョコマカと走り回る彼らに出会うことはありましたが、もはや撮影の対象にすらならない「並以下」のカマたちでありました。
 ある冬の日、お決まりの東海道筋荷レを撮影後、南武線の石灰列車を牽く八王子のEF15でも撮ろうかと、川崎で途中下車して南武線に乗り換え、尻手の駅で浜川崎行きの旧国を待っていると、新鶴見操からやってくる側線に颯爽と登場して来たのが、シナキのDD13だったのです。もちろん、このカマの通過を待っていたわけではありませんでしたし、通ることすら予想していませんでした。でも、雪降りしきる大都会の真ん中を、独特のカラカラしたディーゼル音を響かせ、すすけた排気をビンビンに噴き上げながら通り抜ける姿に、つい、カメラを向けて後追いをしてしまったのです。当時は、たとえ撮ったとしても、アルバムにすら入れないであろうカマでしたが、何か得たいの知れない「価値」を瞬時に感じ取ったのは、私の中に脈々と流れていた、鉄道ファンとしての「本能」だったのでしょう。
 このころ、入換機の主力はDE10へと移りつつあり、DD13でも初期型の1つ目機はどんどん淘汰されている時期でした。でも、たかが入換機・・・。そんなもの、どこでもいつでも撮影できると思っていたのです。しかし、ふと気がつくと、いつの間にか操車場はDE10の姿ばかりとなり、そしてまた気がつくと、貨物縮小・操車場廃止の波の中で、入換作業自体が見られなくなってきていました。大操車場のハンプ坂道を、上へ下へと忙しそうに走り回っていたDD13の勇姿は、知らないうちに過去のものとなっていたのです。DD13の後を追うように、ハンプの風景さえも過去のものとなってしまいましたが・・・。

「そういえば、あれだけうるさく走り回ってたB6も、あっという間に消えたもんなぁ・・・。本線を走るカマじゃないと、誰も相手にしてくれんのかねぇ・・・」

 初老の鉄道ファンが、目の前の入換風景を眺めながら、ふとつぶやきます。戦前から戦後にかけて、東京地区の操車場業務を一手に引き受けていた名蒸機B6・・・。彼らも人知れず消えて行ったということを知ったのは、DD13がそうやって姿を消した後のことでした。入換作業員をデッキに乗せながら、小高い丘を行ったり来たり・・・。本線を走ること、そして全力疾走をする機会にほとんど恵まれなかったDD13の中で、私がカメラに収めた唯一の「フル・スロットル」は、白銀の世界を翔ける天馬のような勇躍さを見せていたのです。どんな本線用機関車よりも美しい「全力疾走」でありました。

 


もどる