美しいということ
〜 高崎線のEF60-500 〜



(大宮にて)


 往年の名スターが、懐かしの名曲を歌っている姿がテレビに映し出されると、懐かしいと思う反面、何ともいえない複雑な心境に襲われる時があります。ツヤのない肌に隠しようのない皺、そして、かすれた高い音・・・。流れ行く時間の残酷さとでも言うべきか、過去の栄華が大きければ大きい分、その落差は大きなものとなって突きつけられるものなのでしょう。
 東京オリンピックの開催に向けて日本中が活気にあふれる中、最も華やかな大動脈である東海道・山陽路の、しかも最も花形である寝台特急を牽引するために生まれたのが、このEF60-500でした。平地では軽快な走りを見せ、西の難所セノハチも補機なしで颯爽と駆け抜けられる・・・。名機ゴハチといえども、こんな離れ業などできようはずはありません。20系客車に合わせた「特急色」を身にまとったその姿には、常に羨望のまなざしばかりが注がれました。
 しかし、そんな輝かしい日々も、僅か2年で終わりを迎えます。一晩で優に1000km以上を走破するという過酷な運用に、車体のあちこちから悲鳴が上がり始めました。そうこうしているうちに、110km/h走行をこなせる新型機の登場・・・。同じようなスタイルでありながら、様々な部分で性能の優れた後継機は、一気にこのカマを栄光の座から引きずり下ろしたのです。
 折りしも電車時代、新幹線の訪れ・・・。寝台特急の座を降ろされたカマに「次の優等列車」の枠などあろうはずがありません。待っているのは、雑多な貨車の行列だけでした。しかも、次々とデビューする高出力機を前に、いつしか残された仕事は、走行時間よりも待ち合わせ時間の方が長いような区間貨物列車ばかりとなりました。数輌の貨車だけを連れて側線に休む脇を、色とりどりの特急列車が駆け抜けて行きます。独特の美しい衣裳も奪い取られ、何の変哲もないブルーの衣裳を与えられました。新しくもなく、かといって古くもなく、何か個性的なマスクをしているわけでもなく、珍しい列車を牽けるわけでもなく、中途半端な「新型機」は、その生涯の大半を脇役として勤め上げなければならなかったのです。
 自分がその座を奪ったゴハチは、優等列車を退いてからの方が高い人気を博しました。自分を追い出したEF65-500は、その後10年以上、王者の地位を守りました。そして、貨物輸送減少の波・・・。仕事の中心であった区間貨物列車は、その矢面に立たされました。
 多くの貨物ターミナルが廃止され、多くの貨物機が余剰となった中、働く場を失った同僚機たちは、次々と運用を外され、大宮工場へと旅立って行きます。それでも、ゴハチのように「廃車反対」を叫ぶ声は、ほとんど聞かれませんでした。カウントダウンが始まってですら「ロクマルを追いかけて一日を過ごす」ファンの数は知れていました。多くのファンのフィルムに刻まれた写真も、大半は「ゴハチ」「臨スジ」などのついでに撮られたものであったことでしょう。
 大宮のホーム端で、高ニゴハチの臨スジを待っていた時、いつも通りにやって来たのが、ロクマルが充当される倉賀野からのタンカーでした。別に、わざわざカメラを向けるまでもないスジです。
 でも、その日は少し違いました。臨貨の返空でも合わさったのでしょうか? いつもとは比較にならない長大編成です。しかもカマは、ブタ鼻といえども500番台機・・・。往年の美しい隊列を彷彿とさせる長く、そして整然とした姿がそこにはありました。時代が変わっても、衣裳が変わっても、そして後に続くものが変わっても、あのころと全く変わらない「威厳」が満ち満ちておりました。ほんの僅かな間でも「英雄」であったということが、このカマを美しく、厳かに輝かせます。引退を間近に控えた古き英雄の「意地」を見せつけられた1シーンでした。

 


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