熱い目、冷めた目
〜 常磐線のEF80 〜



(常磐線 上野にて)


 東海道筋のゴハチが消えて以降、首都圏のファンたちは、各々の中で「これから先、何を追い、何を見つめて行ったらいいのか?」という、自分の趣味生活を左右する大テーマと戦わなければなりませんでした。あれほど美しく、あれほど艶やかだったゴハチに代わる「恋人」など、そう簡単に見つかろうはずなどなかったからです。確かに、東海道筋ゴハチが消滅してからも、高崎二区や宇都宮運転所には僅かなゴハチが生き残り、最後の力走を続けておりましたが、それでも、SGを噴くことのない東北筋のゴハチを「同じ恋人」として追えるほど、ファンの「美意識」は鈍っていませんでした。

「EG灯ならさぁ、宇ガマのゴハチなんかより、高二のロクヨン1000の方が色っぽいぜ! 精悍だし、かえってサマになってる・・・」
「そうだよな。どう頑張ったところで、ゴハチはスチーム噴いてナンボ・・・だもんなぁ」

東海道筋のゴハチに青春を捧げてきたファンたちは、宇ガマに群がる中・高生ファンたちの後ろ姿を眺めながら、そう言って溜息をつきました。もちろん、溜息をついたところで「新しい恋人」に出会えるまでもありません。「鉄ちゃん生活も、そろそろ潮時・・・?」という言葉が、チラッ、チラッと脳裏をよぎり始めるのも、このころからでありました。
 そんな中でも、大半のファンたちは、新鶴見や高二のEF15か、田端のEF80へと「鞍替え」をして行きました。中には、新型機の魅力を語り出す人間もいましたが、ゴナナ、ゴハチ・・・と、去り行く者たちと語り合ってきた人間からすれば、「散り際」の輝きを見せるカマこそが、自分が追い求めるために必要不可欠な条件であったのでしょう。

「明日のエキスポだけど、夜の最終はこのままだとハチマルが入るよ。順当なら51号機だ」
「ニックならいいんだけど、ま、いいか。バルブしか使えないから上野で待ちだな」

常磐線の「主」として黙々と走り続け、万能機EF81の進出によって続々と淘汰されつつあるEF80は、関東地区では数少ない、旧ゴハチファンの心を捉えるだけの条件を持ったカマでありました。そんなカマたちが、筑波研究学園都市で開催されている「科学万博・つくばEXPO'85」の専用臨時列車「エキスポライナー」の仕業に入っています。この仕業は、全スジ看板付き! ファンにとって、これ以上嬉しいことはありませんでした。ほとんど毎日、最低でも2〜3輌の田端区所属機がこの臨時列車の牽引に当たります。押され気味のハチマルとは言え、週に2〜3日は、必ずどこかの仕業に充当されました。EF80に鞍替えしたファンにとって、これは絶対に外せないスジだったのです。
 そんなファン仲間に誘われて、私もその日、夜の上野駅高架ホームで、ハチマルの帰還を待ちます。下回りまでキチンと撮りきるために、わざわざ三脚とレリーズも準備していました。定刻通りに、少し煤けた桃色のカマが姿を現します。次々と押されるレリーズ、そして、刻み込まれる時間・・・。
そういえば、昼間、同じ看板を掲げて地平ホームに止まっていたのは、「追いやる側」のEF81でした。国鉄最後の万能機と呼ばれ、現在でも多くの線区で活躍を続けるこのカマは、それこそ「なんの特徴もない、ありきたりのカマ」だったのです。デゴイチファンの多くが、DD51を忌み嫌ったのと同じように、多くのハチマルファンにとって、EF81こそ「諸悪の根元」でありました。でも・・・。

「な! こうやって見ると、カッコいいだろ? 俺はな、なんで今までハチマルのカッコよさに気づかなかったんだろうって、後悔してるんだよ!」
「あぁ、まぁ、そうだな・・・」

 熱い想いで見つめるファンと、どこか冷めた想いで眺めるファンの前で、独特のモーター音を響かせながら引き上げを待っていた51号機は、信号が青になると、短い汽笛を残して、ゆっくりと来た道を戻って行きました。常磐路からこのカマたちが消えたのは、それからすぐのことでした。


 


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