偶然が残した「宝」
〜 東海道貨物線のEF60 〜



(東海道貨物線 川崎新町にて)


 京浜工業地帯のド真ん中を横切る東海道貨物線。超過密な東海道本線を使えない貨物列車たちは、横浜を通り過ぎると、その行き先に応じて片や品鶴線、片や東海道貨物線へと、それぞれに散って行きます。そうしたスジも、コンテナやタンカーといった専貨から、雑多な貨車が数両連なっただけの区間貨物まで多種多彩。まさに「物流の大動脈」なのでありました。
 川崎の手前で本線から別れた上りの貨物線は、大きく右へと弧を描くと、北から走ってきた南武支線に合流します。そして、古い住宅地の軒下をすり抜け、大工場の脇を通り抜けると、海底トンネルへと消えて行きます。EF66に牽かれて颯爽と通り過ぎるフレートライナーに、絶大な人気を誇った晩年のEF58が牽く荷物列車・・・。それに加えて、時折、八王子のEF15が奥多摩から石灰を満載した専貨を引き連れて通り抜けるわけですから、電機ファンにとって「黄金街道」そのものでありました。
 さて、今日もそんな川崎新町で、いつも通りにゴハチの荷物と石灰専貨を撮り終えた私たちは、八丁畷までの電車が来るのをのんびりと待ちます。昼間は、カナリヤ色の101系2連が行ったり来たりの単純ダイヤ・・・。1度見送ってしまえば、もう1往復分の時間を、そこで待たねばなりません。少し霞んだ青空を見上げながら、ノンビリと時間が過ぎて行きます。何分かおきに次々と通り抜ける貨物列車などにカメラを向ける気も起こらず、「ひなびた都会」の悠長な時の流れを楽しむのでありました。
 そうやってカメラの手入れをしながら電車を待っていた時、八丁畷方からゴロゴロと音を立てながらやってきたのが、EF60の重単でした。EF15やEF58を追っている人間からすれば、ロクマルなど、完全な「Out of 眼中」・・・。旧型機から新型機への過渡期に生まれたEF60形電気機関車は、旧型機というにはモダンすぎ、新型機というには野暮ったすぎたのです。旧型電機独特の「重厚さ」もなければ、新型電機特有の「溌剌さ」も感じられない・・・。華々しく東海道筋のブルトレを牽引したのも3年弱・・・。生まれながらにして、そんな悲しい宿命がありました。
 そういうカマの重連ですから、写真を撮りたいというような気持ちになることもなく、いつもなら、眺めることすらしなかったかも知れません。でも、その日、手にはたまたまカメラが持たれていて、そのカメラの中には、たまたま1枚だけフィルムが残っていたのです。
「ま、いいか。これでも撮って、帰りにそのまま現像に出しちゃおう・・・」
誰もいないホームで、ただ1人、誰も撮らないような機関車を撮る男・・・。そして、気恥ずかしそうにゴロゴロと通り過ぎて行くロクマル・・・。「撮らないよりマシ」の1シーンは、こうやってフィルムへと刻まれていったのです。
 それからン十年の月日が流れ、あれほど当たり前のように走っていたロクマルも、イベント用を除いて全機が引退しました。角窓が愛らしい初期型サイドビューの重連に、シャキッと引き締まったスカート、そしてブタ鼻改造がなされていない原形ライト・・・。カメラを向けることすらなかった分、そして、誰もが「当たり前」のものとして振り返ることすらしなかった分、かえって新鮮であり、貴重に思われるのが不思議です。偶然が偶然を呼んでフィルムに刻み込まれた1枚は、あまりにも当たり前で、そしてあまりにも美しい1枚なのでありました。こんな光景が、いくらでも見られたあのころ・・・。昭和も、いつの間にか遠い昔となりました。

 


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