嵐のあとに佇むもの
〜 青梅・南武線のEF64 〜



(青梅線 拝島にて)


 戦前を代表する旧型D級機であるED16が、奥多摩で産出する石灰石輸送の定期仕業を持つ青梅線は、旧型電機フリークにとって最高の魅力を持った路線でした。晩年には、大半が拝島以遠の仕業になりましたが、それでもバトンタッチする相手はEF15が中心でしたから、旧型電機フリークにとって喜びは変わりませんでしたし、拝島のホームで待っていれば、ED16にせよEF15にせよ、簡単にその雄姿を目にすることができたのです。立川機関区に隣接する西国立のホームに立てば、目の前には、のんびり並んで日なたぼっこをする老機たちの姿がありました。
 それから何年か経ち、とうとうED16が退役することになった時、沿線は多くのフリークが集い、軍畑の鉄橋脇には、カメラの列ができました。そして、それから大した月日も経たないうちに、EF15も去って行きました。立川機関区の閉鎖により、西国立のホーム脇で日なたぼっこをするカマもなくなり、軍畑の鉄橋から、拝島のホームから、フリークの姿が消えました。「オウメセン」という言葉を口にするフリークも、ほとんどいなくなってしまったのです。
 それでも、奥多摩からの石灰石輸送は続いていました。産出量の減少などが影響してか、列車の本数こそ減りつつありましたが、石灰石を満載したホキ車を長々と連ね、奥多摩から青梅線・南部線を経て京浜工業地帯までゴトゴトと走って行く光景に、何ら変わりはありません。先頭に立つカマがED16からEF15、そしてEF64へと変わっただけのことでありました。
 それからしばらく経ったある日、八高線のDD51重連を撮った帰り道、ふと、拝島駅に足を延ばしてみました。ブドウ色の老雄が来ないことはわかっていても、拝島のホームに立てば、あのころの「あの風景」が広がっていそうな、そんな気がしてならなかったのです。ホームのベンチにドッカリと腰を下ろして、佇むこと30分。いつも通り滑り込んできた列車の先頭には、ED16でもEF15でもなく、バリバリの「現代型電機」EF64の姿がありました。
「やっぱ、もういないんだよなぁ・・・」
頭の中ではわかっていても、こうして改めて目の前に「事実」を突きつけられると、やりきれない想いでいっぱいになります。とてもカメラなど構える気にもなれず、それでも「せっかく来たんだから1枚くらい」と、暗い想いでシャッターを押しました。
 それから何年か経ち、カマはEF64からEF64-1000へとチェンジし、その後もさらに10年近い間、石灰石輸送の歴史が続きました。そして、輸送最終日には、EF64-1000へ惜別の看板がつけられ、多くのファンが別れを惜しんだ・・・と、鉄道サイトや鉄道雑誌では述べられています。しかし、あれからほどなく機関車フリークを引退した私にとって、拝島駅の景色は、この写真の時代から止まったままなのです。「ED16ブーム」という嵐が去り、フリークが誰もいないホームで、ひっそりと時代の流れを痛感した、あの時のままなのです。

 


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