大舞台で燃え尽きる
〜 東海道・山陽筋のEF62 〜
(東海道貨物線 八丁畷にて)
東海道筋のゴハチ最晩期は、専ら荷物列車と臨時列車の仕業に当たる日々でありました。一見、客車だか貨車だかわからないパレット荷物車が増えるに従って、荷物列車はデコボコな編成となり、過去の栄光が偉大な分だけ、その姿は哀れでありました。それでも、荷物列車の廃止が決まり、東海道筋からのゴハチ撤退が決まると、そんなに持つ列車の前には、多くの鉄ちゃんたちが群がったのです。
ところが、幸か不幸か、ゴハチ撤退と荷物列車の廃止には、ほんの少しのタイムラグが生まれてしまいました。ゴハチが完全に運用を離脱した後の僅かな期間、残された荷物列車を引っ張るカマがいないのです。東海道筋といえば定番だったEF65やEF66には、荷物車に暖房を供給する電暖(EG)装置がありません。このころすでに荷物車側のEG化は完了していたものの、カマ側から供給できなければ、荷物車の乗務員は凍えてしまいます。目敏い鉄ちゃんたちは、さっそく、この「推理」に掛かりました。
「宇都宮や高崎で休車が掛かっているEGのゴハチを持ってくるに違いない」
「12系や14系の余剰車を併結すればよい」
「大した期間じゃないから、余剰の電源車をかき集めれば、そのまま使えるはずだ」・・・みたいに。
ところが、実際に白羽の矢が立ったのは、EGゴハチでも余剰電源車でもなく、信濃の山麓で静かに終焉を迎えようとしていた、偉大なるCC機、EF62だったのです。「え? ロクニだって・・・?」 多くの鉄ちゃんの誰もが、その情報を信じようとしませんでした。ロクニといえば信越筋、ロクニといえば碓井峠越え・・・。そんなロクニが、碓井峠越えではなく、関ヶ原やセノハチ越えをするだなんて・・・。
そうこうしているうちに、乗務員訓練用のロクニが、沼津区や浜松区などに現れました。東京区にも、ロクイチと仲良く並ぶ不思議な光景が見られるようになりました。撤退直前のゴハチと並ぶロクニは、不思議といきいきして見えました。
そして、ゴハチ撤退翌日・・・。汐留駅には「関」の区札を挿したロクニが、当たり前のような顔をしてやってきました。つい何日か前まで、猛然とスチームを噴き上げながらゴハチが通った道を、今日はロクニが駆け抜けて行きます。「タタタ、タタタ」の独特なリズム、そして、ゴハチとは全く違う、重厚でカン高いモーター音・・・。EG灯を輝かせ、不思議な余韻を残しながら、デコボコな編成を率いて行きます。
「なんか、違うよね。カッコいいけど、何かが違うよね・・・」
愛するゴハチの残像があまりにも大きすぎたからか、それとも、ロクニのイメージがあまりにもハッキリしすぎていたからか、鉄ちゃんたちの想いは、やはり複雑なのでありました。でも、多くのカマや多くのハコが大幹線でデビューし、都落ちした地方路線でひっそりと枯れ、消えて行く中で、最後の大活躍の中に、これ以上にない大幹線が含まれていたことは、喜ばしいことかも知れません。ほんの僅かな期間ではありましたが、偉大で美しき山のCC機は、これまた偉大な海道を、颯爽と駆け抜けたのです。
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