シグナル・クレイフィッシュ(ウチダザリガニ)

人間の都合で持ち込まれ、そして嫌われる不幸
それでも寡黙で、どっしりと生きる美しき「重戦車」



(撮影:佐倉ザリガニ研究所)

データファイル:「シグナル・クレイフィッシュ」
種 別
データ
  項  目  
        概    容        
英 名
シグナル・クレイフィッシュ
学 名
Pacifastacus leniusuculus
成体の
平均的体長

15〜18センチ程度
性成熟期間
(繁殖が可能になるまでの期間)
24ヶ月(2+程度から)
成体の
平均的体色

明茶褐色〜濃緑褐色
同棲息域でも個体によって大きな違いがあります

自然棲息地
北アメリカ西北部
オレゴン州、コロンビア川水系〜ロッキー山脈北部地区
人為移入地
ヨーロッパ北部及び中〜西部地域
北欧3国、イギリス、ドイツなど
北アメリカ北東部、ペンシルベニア州の一部、日本など

購入時
データ
インボイス・ネーム
(商品名)

英名のほかにウチダザリガニ、タンカイザリガニなど
販売個体の状況
国内個体中心(ほぼ国内個体のみ)
捕獲個体・稚ザリから成体まで

輸入・流通量
通年流通
流通量-多・流通頻度-秋〜春に多め

販売個体の状態
コンディション-良
弱化個体-なし

飼 育
設 備
データ
用意すべき水槽
(成体を単独飼育する場合)
60×45×45以上
温度調節装置
(関東地区を基準)
ヒーター - 必要なし
クーラー - 必要あり

(セットしないことを推奨するものでありません)
送気・濾過装置
送気装置 - 複数種セットが望ましい
濾過装置 - 複数種セットが望ましい






アメリカザリガニ(Procambarus clarkii)を除けば、世界中で最も重宝され、そして迷惑がられているのが本種です。アメリカザリガニよりもひと回り大きく、食用としての可食部も大きい上に、水質に関する順応力も高く、多少低めの水温帯を好む傾向こそありますが、ある程度までであれば高水温にも耐え得ることから、様々な条件の水域で生きて行くことのできる強みがあります。それこそが、ザリガニを食料として用いている多くの国々や地域で歓迎され、導入された最も大きな理由の1つであるといえましょう。実際、19世紀におけるザリガニかび病の流行や環境変化、さらには乱獲などによる個体数の劇的減少によって、思うようなザリガニの漁獲を得られなくなっていたヨーロッパの各地域にとって、本種はまさに打ってつけの「新種」であり、あちこちで積極的に持ち込まれ、定着して行きました。
しかし、本種は、その原産地から見てもわかる通り、ザリガニかび病に対する立派な保菌種であり、本種の導入によって一時的に漁獲高は戻ったものの、ヨーロッパ圏内におけるかび病の更なる蔓延に、更なる拍車を掛けてしまった・・・という皮肉な結果を見るに至っています。このため、各地で再輸入や移入、移動・放流の禁止が法制化されており、イギリスのように国を挙げて禁輸・駆逐に動いているところもあるほどです。
日本においても、当初導入された北海道の摩周湖、滋賀県の淡海湖、長野県の一部の他、人為的な放流などにより、北海道の様々な地域や福島県の裏磐梯地区では猛烈な棲息拡大を見せており、さらに福島県の一部、最近では千葉県の一部からも発見事例が報告されています。本種は、天敵のいない環境に放流されますと、急激な棲息拡大によって、その場所の生態系に大きな悪影響を及ぼしてしまいます。貴重な生態系を守ると同時に、何の罪もないザリガニを、これ以上悪者にしないためにも、こうした行為は厳に慎まねばなりません。
意外と知られていないことですが、日本に初めて来た「アメリカのザリガニ」は、アメリカザリガニではなく本種です。しかも、アメリカザリガニが食用ではなくウシガエル養殖の飼料として持ち込まれたのに対し、本種は最初から私たち人間の食用として考えられ、持ち込まれた・・・という点は興味深いものがあります。明治42(1909)年2月、中沢毅一先生が研究用としてアメリカ合衆国、オレゴン州ポートランドより輸入されたという情報や、大正4(1915)年12月、アメリカ在住の椎原廣男氏から、中沢毅一先生を通じて水産講習所(現東京海洋大学)へ寄贈され、水産講習所及び群馬県丸沼の研究施設内養殖池での研究に供されたという情報も一部にあるようで、確認が待たれるところです。いずれにしても、食糧事情が必ずしもよくなかった当時の日本人の新しいタンパク源として、また、疲弊する山村部の新たな経済資源として、官民挙げて様々な模索が続けられていたわけです。
現在、日本で見ることのできる個体たちの直接の祖先は、主に大正15(1926)年から昭和5(1930)年までの間、農林省水産局を中心に、数回に渡って輸入された個体を源流にしています。これらの個体は、全国の水産試験場に配布されて研究が重ねられたほか、神戸のゼーケー兄弟商会という商社が輸入した個体が、石川県の篤農家である山岸善雄氏らの手によって養殖され、全国に頒布されました(山岸氏の養殖事業は昭和40年代まで続き、氏の没後、養殖池と個体群は昭和60年代初頭ころまでは残っていました。現在は池も埋め立てられ、当時の個体も残っていません)。アメリカザリガニの輸入が、歴史的に判明している限りにおいて、原則、1回だけであるのに対し、本種は数年間に渡って波状的に何度も輸入されており、また、時期によって、輸出(採取)地の記録に違いが出ているという事実が、一時期、ウチダザリガニとタンカイザリガニとが別種であるとされた根拠にもなっています。
ちなみに、本種の和名についてですが、昭和5年に輸入され、北海道の摩周湖に476匹放流された個体群について、戦後、九州大学の三宅貞祥教授が調査をした結果、Pacifastacus leniusuculusの種としての特性とは異なる点があるという結論に至りました。三宅教授は、当時の輸入記録などから、摩周湖に存在する個体群については、現地にもう1種存在するPacifastacus trowbridgiiであるとし、北海道教育大学で活躍をされた内田亨先生に献名し、この種を「ウチダザリガニ」と名乗るようになったことに端を発します。摩周湖以外、特に、滋賀県の淡海湖に棲息する個体群については、従来通りPacifastacus leniusuculusとし、これには「タンカイザリガニ」という和名が振り分けられました。その後の研究により、現在ではこの両者間に種を分けるほどの確実な相違点が見受けられないことなどから、生物学的には同一種と考えるのが一般的になっており、両者の混乱を避けるため、北海道の個体群をウチダザリガニ、滋賀県の個体群をタンカイザリガニと、便宜的に呼び分けているに過ぎません。観賞魚業界でも、英名の「シグナルクレイフィッシュ」を用いることが圧倒的に多く、JCCでも、その方針に倣って表記しています。Pacifastacus属には、今のところ合計で3種あるとされていますが、学術的に見ても様々な説が林立している状態で、現地で棲息している個体を含め、未だ確定を見ていません。
観賞魚業界には「ちょっとでも分けて考えるだけの要素があるのなら、ともかく別種として考え、違う商品ラインナップとして売りたい」という暗黙の希望的観測があり、そうした意識の表れからでしょうか、1990年代半ばごろまでは、頑なにウチダザリガニとタンカイザリガニを別種と唱えつつ販売するショップも数多く見られました。中には「タンカイの方がトゲっぽくてガッシリしている」などと全く根拠のない説明をしたり、「タンカイの方が貴重な種」であるとして、値段を引き上げて販売したりするという悪質な事例もあったほどです。最近では、こうした生物学的な情報も浸透し、さすがにそこまで言い切るショップも少なくなりましたが、キーパーとしても、こういう部分については、しっかりと見極めておく必要があるといえましょう。
なお、本種の稚ザリ(TL7センチ程度までの個体)の中には、一見、キャンバリダエ科諸種に見られるようなサドルバック型の柄体色をまとっているものも僅かながら見られます。ごくまれに「タイガー」「ストライプ」「サドル」などの名称が付加されて通常個体よりも高く販売されているケースもあるようですが、明らかに通常の体色発現範囲の1つで、特殊性はありません。稚ザリの段階ではそうであっても、成長するに従って通常の体色に落ち着いてくることも多いので、注意が必要です(右の写真は、淡海湖での棲息調査の際に捕獲された個体の写真ですが、こうした個体は比較的数多く見受けることができました)。実際に棲息地へ出向き、多くの個体を手にとって見てみるとわかることですが、こうした個体は、数時間も探していれば、どの棲息域でも目にすることのできる「当たり前」な体色なのです。購入時は、このような点にも配慮しておきましょう。また、何年かに一度、青色の個体が観賞魚業界を賑わすことがありますが、これも、他種のそれと同じく、充分に想定された体色変異の事例です。





本種の飼育というと、何をおいても「冷水系」というイメージが強く「冷涼・清澄」の鉄則を守らなければ長期飼育できない・・・とされ、飼育自体が非常に難しいというイメージがありますが、実際には強健で、ある程度までであれば高水温にも適応できるものです。もちろん、クーラーはあった方がよいに決まっていますが、高水温や急激な環境変化を避け、余裕を持った飼育設備を用意すれば、かなり強靭な種であることがわかってきています。実際、現地でも日本でも、貧栄養湖を主水源とする河川から、海水の混じる河口汽水域まで、実に多くの場所で棲息が確認されており、実際の飼育についても、関東以西の地区で全くクーラーを用いず、何年間も飼育しているキーパーも少なくありません。やはり、水温20度を越えるラインですとコンディションを落としやすくなりますが、緩やかで、しかも長期に渡らない範囲であれば、25度レベルでも全く問題なく飼育できている事例も数多くあります。25度レベルであれば、様々な工夫を講じることで、クーラーを設置せずとも維持可能な水温レベルであり、この点は大いに参考となりましょう。7月中旬から9月上旬、水温が最も高い位置で変化する時期だけは注意が必要です。また、本種は、こうした厳しい環境を乗り越えた後、秋になってのポックリ病が比較的多く聞かれる種でもあります。夏場の高温で、体力が完全に消耗しきった状態での、秋の大きな温度上下は、私たちキーパーが考える以上に大きなダメージとなって個体を襲います。25度レベルから20度をはさんで上下するレベルまで下がってくると、キーパーも「やれやれ、もう大丈夫!」という意識に陥りがちですが、ここで個体を死に追いやり、呆然とする前に、少しでも水温の振れが小さい環境セッティングなどを講じるとことで、個体への負担を最小限に食い止める工夫をしておきましょう。なお、ここでのこうした水温の上下によって繁殖スタートのタイミングを読み誤り、メスの産卵開始時期を逸してしまうというケースが、初心者の場合に数多く聞かれます。たとえ順調に交尾できていても、メス側で産卵のタイミングを逃してしまうと、そのシーズンの産卵は事実上不可能です。そうした意味で、本種の飼育に関する成否の大半は、この9〜11月までの3ヶ月間に凝縮していると言っても過言ではありません。
水槽は、基本的にレギュラーの6M水槽で事足りると思われていますが、実際、それでカバーできるのは、中型の単独飼育までです。本種の、特にオス個体の場合、老成してくると、ハサミの大きさが尋常ではなく、縦長よりも横長の方が大きいのでは・・・? とさえ思えるほどのスタイルとなりますので、6M水槽ではかなり窮屈になってしまいます。大型個体の場合、摂取する餌の量も多く、水の傷みも早いので、小さい水槽で飼育した場合の個体へのダメージは、他種とは比較になりません。
本種向けの餌について、ある淡水魚問屋さんとお取り引きをされている一部のショップで「ウチダはとても肉食性が高いので、定期的に魚を喰わせないと痩せてしまい、長期飼育ができない」という説明がなされることがあります。確かに、魚の切り身などには非常に高い反応を示しますが、それは、どのザリガニでも同じことで、本種のみに突出した特徴ではありません。ストック段階での感覚によって唱えられるようになった典型的な「見た感じ情報」ではありますが、植物性飼料にも反応はしますし、むしろ、選り好みが起こることのないよう、充分な栄養バランスと餌ローテーションの構築が長期飼育の場合は必須条件です。
本種の飼育において難しい点を挙げるとすれば、やはり「繁殖」だといえましょう。本種は、秋口に交尾、産卵を行なった後、メス親は卵を抱いたまま越冬し、翌春、水温が充分なレベルまで上がってから孵化させます。この間、自然化と違って水質・水温などの変化幅が大きい水槽飼育下の場合、卵がその変化について行けず、次々と落ちてしまう事例が非常に多く見られます。特に、水温の振れには非常に脆い面があるため、とにかく低温で、できるだけ振れ幅の少ない、一定した水温環境を作る必要があります。また、卵のままで孵化を待つ期間が何ヶ月にも及ぶため、急激な変化を一切加えない状況下において、とにかく水質・溶存酸素量などを一定レベル以上に維持しておかねばなりません。本種の繁殖事例の大半が持ち腹繁殖によるものであることからも推察できることですが、この時期の環境コントロールがしっかりできるようになれば、どんな種類のザリガニでも飼いこなせるはずです。充分以上の設備と徹底した管理が必要という点で考えれば「難しい」というよりも「手がかかる」という表現の方が適切なのかも知れません。
なお、飼育とは全く関係のない余談ですが、本種はさすがに人間サマの食用として輸入されただけあって、成体は非常に美味です。実際に、北海道東部や福島県裏磐梯などでは、水揚げした大型個体を調理して食べさせてくれるところもあります。イセエビなどと比較しても遜色のない歯応えで、イメージほどの泥臭さもなく、単純な塩茹でからスープ、サラダまで、多彩な料理を楽しむことができます(ちなみにこの写真は「レイクロブスターと季節野菜のサラダ」・・・なかなかお上品なお味でした!)。もし、こうした機会があるようでしたら、ザリガニ好きとして、ぜひ、一度ご賞味下さることをお薦めします。