ジャンル:繁殖
抱卵中のメスに対して、餌は与えるべき?


  お尋ねのメール内容    Sさん(山口県)
 私の周りで意見が真っ二つに分かれているため、「抱卵中のメス個体に餌を与えた方がよいのか、それとも、餌切りをした方がよいのか?」ということについて質問させて下さい。
 昨年の12月のことですが、私のところでは2匹のメス(アメザリの青色個体と白ヒゲ個体)が抱卵をしました。何も与えないでいるのは少し心配になったので、孵化までの間、栄養をつけて元気に頑張ってもらいたいと思い、餌を与えてみました。青色個体の方はほとんど口をつけず、白ヒゲの方はよく食べてくれましたが、もしかしたら偶然かも知れませんが、餌を食べてくれた白ヒゲの方だけ、卵がすべて落ちてしまい、繁殖は失敗しました。もう一方の青色個体は、ほとんど餌を食べてくれなかったので、後半は餌切りをしました。仔がほとんど離れるタイミングから餌やりを再開しましたが、それから2週間くらいで脱皮し、その後も元気でいるので、そもそも餌は必要なかったのかなという気もしました。交尾は、両方とも3回以上確認していますので、無精卵だったから失敗したということは絶対にありません。
 個人的に、この違いはとても気になったので、ネットで情報を集めたり、知り合ったブリーダーやキーパーの方に質問をしてみました。ただ、経験者に聞けば、どっちの方法が正解なのか簡単に解決すると思っていたのに、予想外の結果となりました。それは、西日本の方はほとんどが餌切りをしているのに対して、東日本の方の中に、餌は与えた方がよいという意見の方が非常に多かったからです。これは、気候や地域性なども関係していると考えるべきなのでしょうか?よけいに疑問が深まる状態となっています。
 そこで、まず第1点として、餌を与えるべきかどうかということと、もう1点として、こうした部分で地域性があるのか、そして、もしかしたら個体のカラーバリエーションによっても何か違いや特殊な点があるのかどうかということをお聞きしたいと思います。さらに、私は山口県に住んでいますが、地理的には西日本ということになるものの、瀬戸内海よりも日本海の方に近いため、冬はかなり寒く、積雪もあるので、もしかしたら北日本の感覚でいるべきかも知れないと考えています。さらには、自然棲息の個体と比べて、繁殖の時期がずれているからかも知れないという疑問も考えてしまいます。疑問点がいっぱいなのですが、次回以降は少しでも失敗を減らしたいので、できれば気候の区分なども含めて、できるだけ詳しいご回答をお願いします。
お答えさせていただきます
 正直なところ、この問題については繁殖シーズンが訪れるたびに寄せられるものなのですが、それぞれのキーパーの水槽の中で、落卵や腐敗など、特に大きな障害でも起こりさえしていなければ、どちらかの見解に絞り込む必要もなかろう・・・と考え、おおむねそのようなニュアンスの回答をして参りました。ただ、今回に関しては「地域性の基づく差異」や「体色ごとの違い」など、かなり突っ込んだ内容や様々な可能性まで見据え、真剣に考えた上でお寄せ下さった内容ですので、こちらとしましても多角的な視点から「究極の部分では、いったいどちらの方が望ましいのか?」という部分でキチンとお答えさせていただくべき・・・と考えました次第です。
 さて、まず”正解”(というより、アメリカザリガニという生き物の基本的生態から考え得る最も標準的な見解と佐倉における実践事例)から申し上げさせていただくなら、アメザリのメス個体に関しては、基本的に抱卵を確認した段階で餌切りをしていますし、その方がより望ましい選択であろうと考えています。水槽の本数が少なくないため、ボーッと考えごとをしながら流れ作業的に餌やりをしていて、ついうっかり、抱卵個体を収容している水槽に投餌してしまうなんてことも今までゼロではありません(苦笑)でしたが、基本的には稚ザリの大半が独り歩きを始めるころまで、その水槽に餌を投入することはありません。そして、そのことは、個体の体色によって変えることも一切ありませんし、もっといえば、初繁殖個体であろうが老成個体であろうが、すべて同じです。また、現在の佐倉では、季節をずらしての繁殖などは一切行なっていませんが、もし仮に繁殖シーズンをずらしてトライしたとしても、この方法が変わることはありません。
 もちろん、こんなことを書くと、”餌切らない派”の方々からまたもや猛批判が来そう(苦笑)ですし、そうした方々はきっと「自分の飼っている個体が、実際に目の前でガツガツ食べているし、場合によっては餌を欲しがる行動まで見せるんだから、食べるなら与える方がイイに決まってるだろ!」というニュアンスのことをおっしゃるに違いありませんね。そりゃあ、きちんと残餌なく食べてくれて、なおかつその個体の退避スペースが糞などで汚れたり水が傷んだりしていない状態であれば、それでも別に構わないだろうと思います。多少のリスク要因こそあれ、少なくとも「餌を与えてしまった途端、その繁殖は確実に失敗する」というワケでもありません。ですから、今回、Sさんの水槽で白ヒゲ個体が落卵してしまった理由も、必ずしも「餌を与えてしまったから」とまでは断定できないと思います。ただ、それでもあえて「餌切りをする方が望ましい」という見解を提示し、実際、佐倉においてそうした方法を選んでいるのには、当然ながら相応の理由があるワケです。
 水槽という特殊環境下で生きている個体の、その中の1匹1匹の状況や反応はひとまず置いておいて、アメザリという生き物全体における抱卵メスの餌に対する嗜好性に関しては、そうでない時と比べて確実に低くなる・・・というのが厳然たる事実です。何もこれは、アクアリストお得意の「自分たちの水槽の中だけで見た感覚」ではなく、生物学的にも完全に証明されたものであり、異論を挟む余地はありません。たとえば、様々な研究現場や生態系保全活動などの現場で、同水温期において仕掛けカゴなどによるアメザリの捕獲作業を行ない、産卵期とそうでない時期とで捕獲される成体メスの数(対成体オス比)を数値化して見てみると、産卵期に関してはそうでない時期と比較して、おおむね7割ほど低比率になることが知られています。それをさらに抱卵メスだけに絞って集計し直すと、その比率はさらに2割以上下がり、事実上「ほとんど採れないに近い状態まで下がる」ことになるワケですから、こうしたデータ面からの分析で見ても「アメザリの抱卵メスは、その期間中、餌に対する反応が極端に鈍る」ことがわかりましょう。実際、生態系保全などにおけるアメザリ防除(駆除)活動の世界でも「産卵後はメスが捕まえられなくなる上に、そのまま仔を放されてしまっては防除の実効性が著しく下がるので、産卵期に入る前までに捕獲作業を集中させ、卵を産むメスの確保を急ぐべし」とされるのが一般的です。
 これが、抱卵期間の非常に長いウチダザリガニになりますと、当然ながらこの傾向はまったく見られません。特定外来生物指定前にウチダを飼育していた方であれば実感されていたことと思いますが、たとえ抱卵をしている時であっても、メスは平然と餌を食べていましたし、棲息調査や駆除活動においても、秋の終わりや春の始めなどといった抱卵期には、仕掛けたカゴの中に抱卵メスが当たり前のように入り込んできますから、そうした状況から見ても、この傾向は、抱卵期間が短いアメザリならではのものであり、「アメザリの場合、事前に充分な栄養を確保した上で産卵に臨み、ほとんど摂餌行動をしない状態で抱卵期間を駆け抜ける」ということが、種としての”特徴”として理解できましょう。こうしたことから総合的に考えると、飼育という場面においても、キーパー側としては”抱卵期間中に餌を与えるかどうかを悩む”よりも”産卵に至る前段階の時点で充分な栄養供給を心掛けるべきである”ことに気づくはずです。先ほど、餌を与える方々の論拠になっていた「実際に食べているんだから、食べるなら与える方がイイに決まってる」という部分も、見方を変えて考えれば、個体差という範疇で片付ける問題というより、その個体に対するキーパー側の根本的な事前準備ミスであった可能性も否定できないことになります。個体差という要素はさておき、私たちキーパーは「餌を与えるべきか切るべきか?」という部分よりも「抱卵期間中に餌切りをしてもメス親に支障が出ないように事前の準備をしっかりこなす」という部分に留意すべきなのかも知れません。
 そして、抱卵個体に関しては、もう1つ、非常に興味深いデータがあります。それは「夜間における在巣比率が、非抱卵期よりも高い」ということです。一般的にアメザリの成体は自らの巣を持ち、昼間はそこに身を隠し、夜になるとそこから出てきて活動する・・・という生活スタイルをとるのが普通です。もちろん、昼間でも外に出歩く個体はいますし、餌を食べる個体もいますが、基本的にはそうした活動パターンを取ることが傾向的に見て間違いありません。アメザリの採取に取り組んだ経験をお持ちの方であればおわかりいただけます通り、大型個体を狙おうとした場合、圧倒的に夜の方がよく採れますし、そうした時間帯にアタックするのが常識ですもの・・・ね。それはまさに、こうしたアメザリの生態に合致したものなのです。
 本来、外に出て活動すべき時間帯にも関わらず、巣穴に閉じこもっている比率が高くなっている・・・ということは、すなわち抱卵メスが「意図的に外へ出たがらない状態である」ということを意味しています。基本的にアメザリの抱卵メスは、自分の栄養補給よりも卵を保護し、育成するという行動を優先しているワケですね。だとすれば、キーパー側とすれば、当然ながら”より静謐で安心できる環境づくり”を最優先しなければなりません。「とりあえず餌を入れてみて、食べなかったら取り除けばいいや」的な発想は、あまり好ましいことでないことも想像できましょう。残餌を取り除くために網入れなどをすることによるメスへのストレスも、できることなら避けた方がよいのです。そして、これらの諸要素を総合的に検討すれば、やはり”餌切りをした方がよりベターだ”という見解に行き着くワケですね。
 もちろん、個体差などの部分も含め、どうしても個体が餌を欲しがる状態であれば、そこで無理して餌切りを続ける必要はありません。卵にとって水質の悪化は予想以上に大きなダメージとなりますし、通常の個体であれば何ら問題なく切り抜けられる程度のわずかな変化でも、あっさりと卵が落ちてしまうことも少なくないので、その点だけは充分に注意を払いながら(そうした部分も含めて、多かれ少なかれ水を傷めることになる投餌は避けるに越したことはありませんが)、必要最低限の量の投餌を行なうようにしましょう。
 以上のように、アクアリストの中で意見が割れるような問題であっても、冷静にザリガニの生態を分析して行くと、意外と簡単にその本質や解決法などが見えてくることも多いようです。アクアリストが自分の説を展開する際によく使う「目の前で繰り広げられているその景色”が”真実」という論法も、正確には「目の前で繰り広げられているその景色”も”真実」というべきなのかも知れませんね。水槽の中からだけで得られる情報やヒントには、確かに1つの真実であることに違いありませんが、それだけですべてを理解しようとしても、自ずと限界があるものです。水槽で飼う個体について考える場合であっても、目の前で繰り広げられる水槽内だけの事例に固執せず、また、「自分の水槽を眺めながら考える」という楽な作業だけですべてを判断せず、自分の足と手を使って様々な分野の様々な人に会って話を聞き、様々な現場を自分の足で見て行きながら情報を集め、検討して行く作業は、必ずや自分の水槽の中にいる個体に対しても、大きなプラスをもたらしてくれるに違いありません。こうした部分をキチンと踏まえて、あらゆる場面から総合的に判断しないと、肝心の水槽飼育においてすら、大きな判断ミスを起こしてしまう危険性があるのです。キーパーによって見解が分かれ、それぞれが”自分は実際にそれを確認している”などと主張し合うのも、それぞれが”自分の水槽での光景だけ”に固執してしまった結果でしょう。湧き上がってきた疑問を解決しようという姿勢はとても大切で、かつ尊いことですが、それを水槽の中から得られる情報だけでクリアさせるのは、たいていにおいて困難なことですし、すべての人に対して納得の得られる結果には行き着けないことの方が多いといえましょう。もっと広く、もっと柔軟に情報を集め、様々な要素や視点から総合的に検討して行く姿勢が何より肝心だと思います。
 なお、こうした要素に関する”地域格差”ですが、それはほぼないと考えてよいでしょう。日本において、アメザリの歴史はまだまだ浅く、生物学的な観点における時間軸で考えれば「ついさっき、日本という土地に足を踏み入れたばかり」であると言っても過言ではありません。何百年、何千年もその国に棲息し続けているならまだしも、たかが100年程度という時間であれば、よほど特殊な条件でも起こらない限り、そうした分化は起こり得ないと考えるのが自然です。もちろん、それは体色についても同じですので、これらの条件は、およそ日本で目にすることのできるアメザリすべてに当てはまることであろうと思います。