お尋ねのメール内容 Uさん(埼玉県) | ||
このメールは、佐倉ザリガニ研究所様への抗議とか苦情と言う意味ではないのですが、佐倉様だけでなく、このホームページを見る方々のためにも、内容を確認していただき、もし間違いなようでしたら訂正をお願いしたいと思って、出させていただくメールです。 先日新しくアップされたルポの記事を拝見しました。鎌倉までザリガニを探しに行かれたのは敬服しますが、そこで、アメリカザリガニの日本渡来は昭和2年という内容がありました。他のネット記事でも、一部はそうしてあるのを見掛けています。また、養殖場の経営者の名前についても調べられ、ネット上の一般的な情報の誤りを指摘してましたね。私は、そうした調査は素晴らしいと思います。 でも、一番大切な部分だと思うアメリカザリガニの日本渡来年は、実際には昭和2年でなく昭和5年が正しいです。実は、去年のことですが、我が家の息子が、自由研究でアメリカザリガニについて研究しました。当然、佐倉ザリガニ研究所様の記事も参考にさせていただきました。しかし、2学期になって、その自由研究を小学校に提出したところ、それを見られた教頭先生から指導があったそうです。妻の話によると、教頭先生は理科の先生で、若いころに大学でアメリカザリガニについても学んだことがあるらしく、その時に、当時の鎌倉のザリガニ養殖場関係者の資料から、アメリカザリガニが初めて日本に来たのは昭和5年であるという確実な情報を得ているとのことでした。2学期の保護者会の時に、わざわざ声を掛けにきてくれて、息子と一緒に話をしてくれたそうですが、その時に、ちゃんと昭和5年と書かれている古い資料も、わざわざ自宅から持って来て下さって、直接見せて下さったみたいです。妻も、その資料を自分で見て確かめております。息子が調べた努力は褒めてくれまして、それは息子も喜んでいましたが、「インターネットというのは便利だけど、中に書かれていることにはデタラメも多い。だから、調べる時には、インターネットだけでなく図書館に行ったり、自分で調べて歩いたりすることも大切だよ」ってことを息子に優しく指導してくれたそうです。私も、それを聞いて本当にその通りだと思いました。 佐倉ザリガニ研究所様は、ザリガニのことでは有名なサイトだと思います。でも、人気がある分、書かれていることを読んで、その内容を鵜呑みにしてしまう人も多いと思いますし、そうなれば、これからも息子のような悲劇も起こることになります。抗議と言う意味ではありませんが、やっぱり、当時の人から直接聞いた話というのは、何より正確だと思います。息子のような悲劇が起こらないためにも、きちんと確認して、訂正した方がよいと思います。よろしくお願いします。 お答えさせていただきます | コトの真偽はともかく、まずは、このサイトの記載内容のせいで息子さんがイヤな想いをされてしまったことにつきましては、心よりお詫び申し上げます。まだまだ三流レベルのサイトゆえ、文章量が多い割には中身がまだまだポンコツでして、ホントごめんなさいね。記載内容には応分の自信を持っているつもりなのですが、今後もさらに配慮した記事作りをして行く所存でおりますので、もし何かございましたら、これからもズバッとご指摘下さいますと幸いです。 | さて、その上で今回の本題に入って行きたいと思いますが、アメリカザリガニが初めて日本へやって来たのは、ズバリ、昭和2(1927)年の5月12日で間違いありません。もちろん、息子さんに対してご指導をされた教頭先生に喧嘩を売っているワケではありませんよ。もちろん、これはこれで、実はキチンとした原因(理由)はあるのですが、そのことについては後で改めて触れさせていただくとして、まずは、この”昭和2年説”の根拠というか、その時の流れについて先に説明させていただきますね。 「ザリガニ見てある記」の中でも触れましたが、大正7(1918)年に日本へ初めて持ち込まれたウシガエルは、東京帝大の研究施設で養殖研究が進められた後、国の副業奨励事業の一環として各地の水産試験場へともたらされるようになります。これと合わせて、大正9(1920)年には、河野卯三郎氏のお兄さんである河野芳之助氏によって、民間としては初のウシガエル養殖施設である「鎌倉食用蛙養殖場」が、あのページでも写真を載せてあります岩瀬下関防災公園のある場所に開設されました。その後、この養殖場は大いに栄え、本国アメリカへの輸出のみならず、日本国内各地にでき始めた養殖施設の”模範”のような立ち位置になることになります。ここまでは特に問題ないですよね。 当時、どんどん活発化してきたウシガエルの養殖に対して、ある種の”トップリーダー”でもあったこの養殖場は、こうした養殖技術を広く日本国内に知らしめる役割も求められるようになりました。そこで、1927(昭和2)年8月、その指南書とでもいうべき「食用蛙の養殖研究」という本を自費出版します。この本は河野芳之助氏が執筆し、研究者でもある弟の河野卯三郎氏が校閲したもので、ウシガエルの基本生態から養殖の方法、池の設計方法から飼料、外敵防除、果ては商品の料理方法に至るまで、事細かに記されたものすごい一冊でありました。ただ、この中にはアメザリの”ア”の字も書かれていません。え? ということはやっぱり昭和5年が正解・・・? いや、これには続きがあるのです。 この本を執筆した河野芳之助氏は、その校正までを終わらせて、昭和2(1927)年3月、初のアメリカ行きを決断し、横浜港から春洋丸という大型船に乗ってアメリカへと旅立ちます。アメリカでは、もちろんビジネスとしての活動をする他、勢力的に各地のウシガエル棲息地や養殖施設を視察して回りました。そして、昭和2(1927)年5月12日、大洋丸という船で横浜へ帰港しています。河野芳之助氏がアメリカへ渡ったのは、生涯この一度きりでした。 さて、肝心のアメリカザリガニについてですが、これについては、弟の河野卯三郎氏の遺稿を集めた「吾輩はお魚である」という本の中に、決定的な記述があります。それによると「当時米国に居た私の愚兄(芳之助)が、日本に帰るとき生きたブルフロッグ(ウシガエル)と、その餌であるアメリカザリガニを、ビヤダルに一杯持参し、大船の田園都市の近くに水田を改造して養蛙池を造り、蛙をザリガニと共に放養したところが、そのザリガニが野生になって大船一帯に繁殖したのが、アメリカザリガニが日本に渡来した始めである」と、アメリカザリガニが河野芳之助氏ご自身の手によってアメリカ渡航の際に持ち込まれたことを示しているワケですよね。つまり、河野芳之助氏がたった一度だけアメリカ渡航をした昭和2年こそが、アメリカザリガニの日本伝来年だったワケです。同じ年に刊行された「食用蛙の養殖研究」の中にアメザリの記載がないのも、この流れで考えれば決して不自然ではありません。ちなみに、昭和5(1930)年の段階では、すでに養殖場から逃げ出した個体が近隣地区へと拡散しており、そうした個体に関する記録も残っています。以上のように、歴史学的な観点からアプローチしてみても、アメリカザリガニが初めて日本へやって来たのは、やっぱり”昭和2年”ということで間違いありません。 では、なぜ”昭和5年説”が存在し、そして今回のような教頭先生のご指導という形が起こってしまったのでしょうか? 実は、これにもキチンとした理由があるのです。せっかくの機会ですので、わざわざご指導下さった教頭先生の名誉のためにも、これについて併せて触れておくことにしましょう。 アメリカザリガニの日本伝来年について「昭和2年説が正しい」ということが明らかになったのは、実は1980年代半ばを過ぎてからなのです。それまでの間は、長いことずっと「昭和5年」であるとされてきました。教頭という役職に就かれている先生であるということは、多分それなりにお歳をお召しになっていらっしゃるかとは思いますし、アメリカザリガニの伝来などについて学ばれたのが、その先生の大学時代である・・・ということであれば、時系列的にも充分に納得の行く話です。 長いこと昭和5年説が支持されていたのは、河野卯三郎氏が知人に宛てた手紙の中に「昭和5年6月」と記されていたからで、要するに1980年代半ばごろまでは、この記述を根拠に「アメリカザリガニが初めて日本へ来たのは昭和5年である」とされていたワケですよね。教頭先生がお持ちになっていた資料も、多分それに基づいたものではないかと思います。教頭先生も、当たり前の話ですがきちんと学ばれ、確固たる証拠に基づいた上でお話をされていたのです。たまたま、今回はその先生が学ばれた後に新たな考証が行なわれた結果、その内容が変わってしまっただけで「別に教頭先生に喧嘩を売っているワケではない」と申し上げた意味も、ご理解いただけましたでしょ?(笑) ネット上に、今も”昭和2年説”と”昭和5年説”が存在しているのも、こうしたことが理由なのです。 1980年代の半ばごろになって、アメリカザリガニの日本渡来年に関し、果たして昭和5年で正しいのか?・・・という主張が出るようになり、それに伴って何人かの専門家が追跡調査を始め、その結果が様々な形で発表されるようになりました。今回、ここで取り上げた内容についても、そうした調査によって詳らかになったことではありますが、その調査の中では「なぜ河野卯三郎氏が手紙の中で昭和5年と書いたのか?」という、今回の”キモ”となるようなことに関しても調べられてありました。河野卯三郎氏のご次男にあたる河野昭二郎氏によると「これは父の記憶違いが原因で、当時父には24年前の記録がなかったために、ザリガニの渡来年を私(昭和2年1月12日生)と弟(昭和5年1月12日生)の出生年(同月同日)と関連づけて覚えていて、本当は私が生まれた年であったのに弟の生まれた年であったと錯覚したものと思われます」ということだそうです。本当に人間らしい、ほのぼのと心温まるエピソードですよね。 以上のように、アメリカザリガニの日本渡来は、様々な調査研究が行われた結果、現在では「昭和2年5月12日」ということになっています。それについては、新たな時代考証によって、この説を根底から覆すような新資料でも発見されない限り変わることはないと思いますが、様々な傍証を含めても、基本的に「昭和2年5月12日」という形が最終的な結論となりそうですね。 最後に1つ、申し上げさせていただくとすれば、私は、今回、教頭先生がおっしゃった「インターネットというのは便利だけど、中に書かれていることにはデタラメも多い。だから、調べる時には、インターネットだけでなく図書館に行ったり、自分で調べて歩いたりすることも大切だよ」というお言葉には、双手を挙げて大賛成したいと思っています。もちろんこれは、情報を発信する側の人間として常々自戒していることですし、自分自身、大いに実感している部分でもあります。特に、センセーショナルな情報や、お金や価値などに関わる情報になればなるほど、ネットでの情報を鵜呑みにしてしまうケースが少なくなく、その結果、匿名掲示板などで「佐倉ザリガニ研究所は適当なウソばかり言っている」なんてことを言われることも一度や二度ではありませんでしたが、ネット上で当たり前のように書かれていることでも、いざ自分の足で調べ歩くと、まったく違っていた・・・なんてことも、これまた一度や二度ではありませんでした。そういう意味で、教頭先生のおっしゃったことは100%間違いのない”金言”であり、息子さんにとっても非常に有意義なことではないかと思っています。もちろん、このサイトでも「適当なウソ」みたいなことが平然と書き綴られないよう、より真剣で正確な情報を集め、発信して参る所存でおりますので、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。 |