その7:”アメザリ伝来の地”に直系の子孫たちを探しに行こう!
(平成28年10月)



 今、日本にいるアメリカザリガニが、昭和2年5月12日、遠くアメリカから横浜港へと船で運ばれてきた約20匹がその始まりである・・・というのは、ザリガニに興味をお持ちの方であればほとんどの方がご存知ではないかと思います。そして、その個体は養殖されていたウシガエルの餌として神奈川県鎌倉郡小坂村岩瀬(現在の神奈川県鎌倉市岩瀬)にあったウシガエルの養殖場へと持ち込まれ、そこから逃げ出したり持ち出されたりした個体が全国へと広がって行ったことも、これまた有名な話ですよね。

 今回、ある国際的学術研究の一環として、日本国内各地のアメリカザリガニに関してサンプル調査を行なうことになり、それに協力しようということで、個人的には約5年ぶりに「アメリカザリガニ伝来の地」へと出掛け、そこで”直系の子孫”たちを30匹ほど捕まえてくることになりました。ま、日本への輸入経緯や各地への伝播状況を考えれば、わざわざ鎌倉へ出向かずとも、我が街佐倉にある自宅周辺の水路で捕まえれば、それも”直系の子孫”であることには違いないんですけど、まぁそこらへんは堅苦しく考えない・・・ということで(苦笑)。
 アメリカザリガニが初めて日本の土を踏んでから間もなく90年。”伝来の地”が、今、どのようになっているのか・・・? そして、”直系の子孫”たちは、社会の変遷の中で、どうやって代を繋いでいるのか・・・? 爽やかな秋の小旅行気分で、のんびりと見て歩くことにしましょう。




 渋滞が大キライなので、ちょいと早起きをして車をビューンと走らせること約2時間。ついに到着したのは、東京湾を挟んで向かい側にあたる神奈川県の大船! 現在の行政区分では「鎌倉市」ということになりますが、海べりの”鎌倉”というイメージではなく、れっきとした”大船”に、その地はあるのです。ここが、今から約90年前に初めてアメリカザリガニが持ち込まれた地。その昔、ここには「鎌倉食用蛙養殖場」という施設があり、大正7年に東京帝国大学の渡瀬庄三郎教授が日本に初めて持ち込んだウシガエルの養殖生産が行なわれていました。アメリカザリガニは、そのための”エサ”として導入されたもので、そこが、最初から「人が食べるため」に持ち込まれたウチダザリガニとは大きく異なる部分ですよね。
 私が初めてこの地に来たのは、今からもう20年以上も前・・・。その後、10年くらい前と5年くらい前の3回ほど足を運んでいて、その時は「岩瀬下関(いわせしもぜき)青少年広場」という名前だったハズですが、着いてみてビックリ! ものすごい綺麗に整備されている上に、名前も「岩瀬下関防災公園」へと変わっているではありませんか! 調べたところ、つい最近である2015年にオープンしたばかり・・・とのこと。



 さて、それでは実際に足を踏み入れてみましょう。初めて訪れた20年前も公園であったことには変わりありませんが、ホント、綺麗な公園になりました。
 ウシガエルの初輸入から2年後となる大正9年。この地に「鎌倉食用蛙養殖場」が開設されました。開設したのは河野芳之助氏。日本へ初めてウシガエルを持ち込んだ東京帝大の渡瀬庄三郎教授のお弟子さんである河野卯三郎氏のお兄さんにあたる方です(ネット上には「河野卯三郎氏が経営者である」とする情報もありますが、厳密にいうとこれは誤りで、実際の経営は河野芳之助氏が、この土地の持ち主であった栗田繁芳氏から土地を借りて行なっていました)。当時、ここでの養殖事業は極めて優秀な成績を収めており、日本国内はもちろんのこと、台湾や樺太など、当時の日本施政下各地にも、食用や養殖用の種親として出荷されていました。さらに、ここで養殖されたウシガエルは本国であるアメリカまで輸出され、この養殖場も”The Kamakura Bull Frog Farm”という名前で知れ渡っていたという記録が残っています。
 ただ、このように順調だったこの地でのウシガエル養殖も、世界恐慌の発生によって徐々にその勢いを失い、加えて第二次世界大戦が近づく中で本国アメリカへの輸出も難しくなった結果、昭和10年ごろには事業を終了していた模様です。その後は水田として用いられていたようですが、昭和40年代前半には埋め立てられ、昭和51年からは公園として利用されてきました。この場所から直系の子孫がいなくなって、もう半世紀近く経っているワケですよね・・・。実際に経験した方ならご理解いただけると思いますが、ウシガエルって、ホント美味なんですよ。この養殖場があと10年でも20年でも続いていたなら、日本人のウシガエルに対する認識も、今とはもう少し変わっていたような気もするんですけど・・・ね(苦笑)。




 せっかく来たので、公園内を少し散策してみます。さすがは「防災公園」を名乗るだけあって、災害時の利用を前提にした様々な施設がいっぱい! その1つ1つに、こうした説明ボードが立てられているのもおもしろいですよね。さすがは都市公園だなぁ・・・。どうやら土地が市の所有になったことで、公園の機能が大幅に強化され、防災公園という形になったみたいですね。




 園内には、我らが千葉の誇る井戸掘り技術である「上総掘り」によって掘られた井戸があり、前回、ここに来た時には、ここから湧き出る水でもって池が作られ、その中にアメリカザリガニの姿を見ることができました。ま、一旦埋め立てられ、それからしばらく経った後で造成された池ですから、そこにいる個体を「直系の子孫である」とは言えないのですが、今回来てみたところ、その池自体が・・・ない!(苦笑)
 どうやら、あの池は防災公園へとグレードアップされる際に埋められてしまったみたいですね。最初から防災公園にすることを念頭に置いて掘られたかどうかはわかりませんが、いずれにせよ防災公園にとってこの井戸の存在は非常に貴重かつ有意義なものといえましょう。井戸から湧いた水は、10メートル程度のちょっとした水路を伝って途切れていました。ま、ここでザリを採るつもりは最初からなかったので、別に構いませんけどね(笑)。




 井戸の脇にあった説明板を読むと、どうやらこの井戸は、2001年の段階で掘られていたようです。防災公園となる15年近く前の段階ですよね。なるほど、最初にここへ来た時には、こんな井戸があった記憶はなかったハズだ・・・。
 それよりも驚いたのが、文中に「栗田家」の文字があること・・・。鎌倉食用蛙養殖場は、河野芳之助氏が栗田繁芳氏にこの土地を借りて開設したことは前項でも取り上げましたが、その後もこの土地は、市に譲渡されるまでずっと栗田繁芳氏のご子孫が守り続けていらっしゃったようですね。一時期、この公園にはアメリカザリガニに関する看板があって、今は残念ながら撤去されてしまっているのですが、ホンのちょっとでも当時のことを窺い知れる情報を見つけることができると、ホントに嬉しい気分になります。




 さて、ひと通り公園を見て歩いたところで、今度は”直系の子孫”を目指すことにしましょう。まずは公園の脇、道路を挟んだ反対側にある砂押川を覗いてみることにします。
 昭和2年にこの場所へやって来たアメリカザリガニですが、その後、逃げ出したり持ち出したりした個体が全国に拡散されていった・・・とされています。地域の文献を調べてみると、昭和13年の7月に、この地域を丸ごと水浸しにする記録的な集中豪雨が発生し、アメリカザリガニやウシガエルがこの砂押川から柏尾川にかけて一斉に拡散していったという記事があり、どうやらこの段階ですでにアメリカザリガニはこの近辺一帯に勢力を拡げていたようですね。
・・・ということは、そのころから水田やため池などとして使われ続けている場所があれば、そこにいる個体は、まさに”直系の子孫”だということになります。ただ、ご覧の通り、周りは完全な住宅地であり、そのような場所は見つかりません。



 川を大船駅方面に向かって下ってみることにしましょう。公園を離れ、駅が近づくに連れて、当然ながら川幅は少しずつ広くなりますが、基本的な川の様子は変わらず、周囲にそれらしい水田やため池なども見つかりません。川の流れがキツいワケでもないので、下に降りて丹念に探せば、もしかしたら捕まえられるかも知れませんが、悠々と泳ぐコイの姿も数多く見えますから、短時間で30匹もの個体を集めるのはちょっと難しそう・・・。それに、こんな人通りの多いところで川に降りてガサガサ始めた日にゃ、間違いなく”不審人物”ですもんねぇ(苦笑)。
 通りがかりのお年寄りを始めとした地元の方に何人かお話をお伺いしたところによると、この一帯は、すでに昭和50年ごろには住宅地になり始めていたようで、水田はとっくの昔になくなっていたようです。




 さらに下って行くと、砂押川はさらに大きな柏尾川へと合流してしまいました。この後、この柏尾川も境川に合流して、江ノ島から相模湾へ注ぐ形となります。河口からもさほど距離がないため、場合によってはすでに感潮域になっている可能性もあり、こうなると直接この流れの中でアメリカザリガニを探すのは現実的でないことになりますね。
 事前にいろいろ調べてみたところでは、柏尾川が合流した後の境川の流域、鎌倉とは反対側の藤沢市内に、当時からのため池が残っており、そこにアメリカザリガニが棲息していることも判明していました。いちいち場所探しをするのも面倒なので、そのまま真っすぐそのため池に行って捕まえる・・・というのもアリだとは思うのですが、今回は何といっても「鎌倉のザリガニを捕まえてくる」ことがミッション! みなさんもご存知の通り、根がマジメな砂川(苦笑)ですから、ここはグッと我慢をして、鎌倉市側で場所探しをすることにしましょう。




 現地での棲息調査を行なうにあたり、事前に鎌倉地区におけるアメリカザリガニの棲息状況についていろいろ調べ、すでに4ヶ所ほどの候補地を絞っていたのですが、実際にそれぞれのポイントを見比べて歩いた結果、最終的に「今回の条件に最も合致している」と判断したのは、ズバリ、ここ! かの源義経が書いた”腰越状”で有名な腰越から少し内陸に入った西鎌倉にある「鎌倉広町緑地」でした。
 40年ほど前にここで住宅開発が進められそうになった時、近隣住民が中心になっての反対運動が起こった結果、鎌倉市がこの土地の開発を凍結。2002年になってこのエリアの土地を正式に市が買い上げ、整備を続けた上で2015年4月に開園させた公園だそうです。



 公園の入口に立っている園内の案内板を見てみましょう。園内の地形図を見た瞬間に、思わずニンマリ! まさに典型的な谷津(やつ)地形ですね。
 谷津とは、地域によって谷戸(やと)とか谷地(やち)とか呼ばれることもありますが、主に浸食によって形成されたU字地形エリアのことを言います。たいていにおいて湧水河川の浸食によって作られる地形ですから、水は極めて豊富であることが多く、古来から水田耕作には好適地とされてきました。我らが北総台地、印旛沼周辺にもこうした地形の場所は無数に存在しており、ひと昔前までは、こうした谷津の奥の奥にある湧水ポイント近くである谷津頭(やつがしら)までギッシリと水田が作られる景色が当たり前であったのです。アメリカザリガニに限らず、長年、様々なザリガニの棲息地を自らの足で見て歩いている経験が、こうしたところで活きてくるとは思いませんでしたが「まさにビンゴ!」という感覚でした(笑)。



 園内に入って、谷津頭と思われる方向に向かって眺めた光景が、こちら!
 中で作業をされていた方にお話をお伺いすると、ここは公園として整備される以前は、かなり荒れ果てて湿地化した休耕田だったそうです。戦後しばらくは、ここもやはり水田として使われていたらしいのですが、その後はご多分に漏れず、管理が行き届かない状態になっていたそうで、それが正式に公園としての整備が決まり、ここまで綺麗に生まれ変わった・・・とか。戦後もしばらく水田として利用され続け、その後はほとんど管理されずに人が出入りしていない状態であったのなら、ここにいるアメリカザリガニは、間違いなく当時の個体の子孫であるハズですね。



 せっかく来たので、ザリ採りに取り掛かる前に、園内をぐるっと散策してみることにしましょう。
 園内では、昔懐かしい”湿田”が復元されていました。今は、米の収量や品質確保、そして農業機械投入の利便性という観点から、日本全国どこに行っても、水田といえば”乾田”が主流ですが、こういう”湿田”の景色こそが、まさに田んぼの原風景でもあったように思います。昔懐かしい稲の”ハザ掛け”と相俟って、子どものころの昔懐かしい光景が蘇ってきますね。思えばこの私が水辺に親しみ、水辺の生き物に興味を持つことができたのも、家の周りにこうした田んぼが広がっていて、そこを遊び場とすることができたおかげであるように思えてなりません。




 谷津地形であるなら、必ずや湧水からの小水路は存在しているハズ・・・とキョロキョロしてみれば、さっそく発見! ここの谷津は“御所谷”と呼ばれるそうで、この水路も”御所川”と名付けられているそうです。谷津は、こうした豊かな水のあるがゆえに、古来より水田耕作が行なわれ、人々の営みが続いてきたワケですが、この流れの雰囲気を見るに、サワガニやヌカエビあたりがヒョイと顔を出しそうな香りがプンプン・・・。
 甲殻類好きとしては、思いっきり血が騒ぐものの、今回のミッションはサワガニではなくアメリカザリガニですので、ここはグッと我慢(苦笑)。



 園内には、湿地帯をそのまま活かした形で池ができていました。ソコソコの水深に、生い茂るヨシの光景は、見るからにアメリカザリガニが生き残っていそうな場所ですよね。実際、事前に得ていた情報によれば、毎年夏になると、地元の多くの子どもたちが、ここでザリガニ釣りを楽しむのだそうです。
 さっそく長靴に履き替え、ザリガニ採りを始めたいところですが、地元の方々が一生懸命に整備されている公園内ですし、いくらヨシといえども、公園内のものをそうそう薙ぎ倒していいワケがありません。また、真夏ならともかく今は10月! ザリ釣りだけで30匹も集めるのは時間も掛かります。もうちょっと場所を探してみることにしましょう。




 で、池の周囲をグルッと回って見つけたのが・・・ここ! 池の流出ポイントです。池から出た水は、ここで小さな流れを作り、先ほどの御所川へと注ぎ込みます。ここなら、公園のヨシを薙ぎ倒したりせず、一生懸命に管理されている公園の方にご迷惑をお掛けせずに、思う存分ザリガニ採りができるワケですね。それでは、長靴に履き替えてザリ採りを開始しましょう。




 10月という、この時期に合わせた“最も効率のよい採り方”で、ガサガサとザリ採りを進めて行きます。ただ、パッと背中を振り返ると、もうすぐそこには住宅地が・・・。戦後、豊かな実りを続けてきたここの谷津田も、こうやって少しずつ開発の波が押し寄せてきた結果、やがて辛うじて残った谷津奥の水田も、耕作が放棄されてしまったのでしょう。こうした光景残念な状況は、何も鎌倉に限ったことではなく、私たちの住む佐倉を始めたとした様々な地域でも、かなり多く見ることができるはずです。逆に、こうした形で開発がギリギリでストップし、大どんでん返しで豊かな里山の光景が残ったことこそ、奇跡的なことかも知れません。




 さすがは10月ということもあって、大型個体はほとんど巣穴の中に潜ってしまっており、あまり多くの数を採ることはできませんでしたが、約30分ほどのガサガサで、大小合わせおおよそ40匹のザリガニをゲット! 無事にミッションをコンプリートすることができました。メデタシメデタシ。
 ただ、さすがに”都市公園”だけあって、散歩や散策をする人が意外と多かったのは、ちょっと・・・ねぇ(苦笑)。いい歳こいた人相の悪いオッサンが、完全重装備でザリガニ採りなんぞをしているのですから、そのような方々からすれば、そりゃ怪しく映ったことでしょう。でも、その点、子どもたちはありがたいもんで、そんな私にも「おじさん、何やってんの?」とガンガン声を掛けてくれました(笑)。もちろん、その場でちゃんとザリガニの説明をしておきましたよ。こうした啓蒙活動も、私に課せられた、1つの大切な”ミッション”ですもの・・・ね。





 無事に目的を完遂して、やっと一服の光景・・・。この後、このザリガニは砂川家において一旦凍結させた後、国内の研究機関に送られ、各地から集められたザリガニとともに採取場所ごとにホルマリン処理をされ、その上でヨーロッパに渡り、分析が進められてる予定になってます。そこでどのような分析が行なわれ、どのような結論が導き出されるかについては「論文として発表されてからのお楽しみ」ということで、今はナイショ(苦笑)ですが、とにもかくにも、こうやって日本の歴史の中で息づいてきたザリガニたちと向き合うことは、それはそれで楽しいことですよね。
 アメリカザリガニはあくまで外来種であり、日本の生態系を保全するという観点で考える限り、他の場所へ移動したり無為に他の場所へ放流したりしないのであれば、捕獲は決して悪いことではありません。しかし、そうした活動を行なう上で、その場所の環境を傷つけたり、動物・植物関係なく、その場所の生き物を傷つけたりしないような配慮は忘れないようにしたいものです。アメリカザリガニ同様、アメリカザリガニ好きの人間が、その土地の人々にとって”危険な外来生物”にならないよう私たち自身が気をつけて、その上で楽しい”ザリ採り”を行ないたいものですよね。