その3:極寒の湖底にナゾの巨大ザリガニを探して・・・
(平成17年11月)



 「年始の特番で、巨大ザリガニ探しの企画があるんですが・・・」

 あるテレビ局から、そんな協力要請の連絡が入ったのは、少し気の早いクリスマス・ソングが街中で聞こえ始めた平成17年11月始めのことでした。詳しいお話をお伺いすると、1泊2日の強行軍で、すでに厳しい冬を迎えている北海道の然別湖へ乗り込み、そこで氷を割ってダイバーを潜らせながら「ナゾの巨大ザリガニ」を探索しよう・・・という、まさにお正月番組に打ってつけの内容ではありませんか!
「ナゾの巨大ザリガニ」といえば、それはまさに、30年以上前に摩周湖で発見されたウチダザリガニからインスピレーションされたものでありましょうし、最初の個体発見からさほど時間が経っていない然別湖では、最初から存在しようもないはずなのですが、そういうつまらぬ正論はともかくとして、実際に氷を割って潜水し、厳冬期の彼らを目の当たりにできる機会というのも、考えてみれば本当に貴重ですから、ここは大喜びで、その「探検隊」に参加することになったワケです。さぁ、一体どんな結果になったのか・・・さっそく見て行きましょう。




 帯広空港に降り立ち、改めて冬の北海道の寒さを実感した撮影クルーの一行は、怯むことなく、そのまま現地へ直行・・・。羽田空港から5時間近い道のりを経て出迎えてくれたのは、強烈な地吹雪の吹き荒れる、ただただ広く、ただただ白い平原でありました。まさにこれが、厚い氷に閉ざされた今回の対戦相手、然別湖です。正直、ちょっとビビり気味・・・。




 現地に到着すると、クルーは一旦ベースキャンプとなる湖畔のホテルに立ち寄り、ロビーと玄関をお借りしてただちに撮影準備へ・・・。そして、ダイバーのみならず、クルー全員が耐寒仕様のドライスーツへと着替えます。何といっても敵はブリザードですから、いくら潜水しないとは言っても、軽くウエットスーツなんかで乗り込んだ日にゃ、凍死確実なワケで、カッコどうこうを言っていられるような状況ではありません。ちなみに、このワタクシのドライスーツ姿は、ほとんど放送禁止状態ですので、当然、画像公開もナシ(苦笑)。




 湖上へと目を移すと、相変わらず地吹雪が弱まったり、強まったり・・・。ちょっと風が強まると、湖の向こうにそびえている山も、すぐに見えなくなってしまいます。というより、真っ昼間のはずなのに、どうしてこんなにも暗いのか・・・。沖縄の血を引く私めには、恐怖感すら覚えてしまうこの空模様だったりするわけです。もちろん、せっかく勇気を奮って乗り込んできたのですから、ここで怯むワケには行きません。





 準備を整えると、撮影クルーは、いよいよ湖上へ・・・。天候が非常に厳しいため、万が一の危険を防ぐ必要があることから、急遽ミーティングを行ない、初日は湖央部の調査を断念することになりました。氷の裂け目や薄氷の場所を踏み抜かぬよう、スコップを持った先導者に続きつつ、湖岸に沿って進み、岸から50メートル前後程度の場所を探します。風の音以外は全く聞こえない、異常なほど静かな世界を、黙々と進むクルーたち・・・。





 潜水調査ポイントが決まると、ただちに湖面の雪かきがスタート。休むヒマもありません。というより、常に身体を動かしておかないと、余計に強い寒さが襲ってくるのです。そんな中、純白の湖面の下から少しずつ現れてくるのは、不気味な灰色の「新しい」湖面・・・。そう! 分厚い氷の湖面です。





 ギュギュギュギュィーン!

 突如、静かに湖上に轟く爆音は、何とチェーンソーではありませんか! 爆音とともに刃が湖面に消えて行くと、みるみるうちに周りが滲んできます。さすが・・・。




 チェーンソーによって四角に切り取られたスペースに、ダイバーが何の躊躇もなくドボン! 氷の塊を取り出してみると・・・。





 厚さ20センチは優に越える、まさに「氷の壁」が姿を現します。現地の方によれば、まだ11月だからこんな程度の厚さで済むのだ・・・とか。
 恐る恐る近づいて、穴の中を覗いてみると、そこには周囲の白色と比べて、あまりにも対照的な「黒い世界」が広がっています。こんな氷と、降り積もる雪によって閉ざされ、昼間でもまったく日光の届かなくなった暗黒の世界で、ウチダたちはじっと生きているんですね。





 そんな感慨に耽っている間にも、ダイバーは機材チェックに余念がありません。限りなく寒く、限りなく暗い世界へと挑むワケですから、ちょっとしたミスも命取りになりかねないのです。様々な計器が1つ1つチェックされて行きます。そんなクルーたちに容赦なく叩きつける雪嵐・・・。




 そして、第1回目の潜水、GO!

 いくつもの泡を残して、ダイバーが漆黒の世界へと消えて行きます。しかし、天候はさらに悪化し、潜水はおろか、湖上にいるのも厳しい状況に・・・。結局、この日の調査は10分程度で終了することとなりました。



 撤収指令によって、湖底からダイバーが持って上がってきたのは、この小さい2個体でした。氷上に揚げた途端、あっという間にカチカチに・・・。





 実際に手に取って見てみると、大きさは異なりますが、多分双方とも1+程度の個体だと思われます。こうした個体が多いのは、潜水地点が湖岸から近かった(水深3メートル程度)ということもあるだろうと思いますが、ダイバーの話では、岩陰などに光を当てると、それなりの数がいることが確認できたそうですし、この段階ですでに欠損個体が揚がっていることなどを考慮しても、平成17年のこの時点で、それなりの棲息密度には達している可能性が考えられるワケです。巨大ザリガニどうこうの前に、こうした現状には何ともまぁ、困ったことで・・・。





 撤収し、ベースキャンプとなる湖岸のホテルへ戻る一行。手ぶれを起こしてしまったのは、あまりの寒さのせい・・・ということで。





 夕方になり、やっと地吹雪が収まったと思ったら、綺麗な夕陽が湖面に降り注ぎ、幻想的な静けさを醸し出しています。変わりやすい山の天気とはいえ、まったく同じ日に、こうまで違うとは・・・。それにしても、こうやって眺めてみると、然別湖も、本当に大きい湖ですね。





 翌朝・・・。写真ではわかりづらいと思いますが、昨日に比べれば、だいぶ明るい感じがします。とはいえ、車はやっぱりヘッドライトを点灯させていることが多く、これも雪国ならではといったところでしょうか?





 出発に先立って、まずは潜水チームのダイバーへのインタビュー収録。ひとたび湖上へ出れば、そこは容赦なく寒風が叩きつけられる戦場! 時間をとって、ゆっくりと話せるのは、このタイミングしかありません。




 昨日とは比べ物にならない好天の中、撮影クルーの一行は再度、湖面に降り立ちます。しばらく湖岸沿いを歩き、そして今日こそは、巨大ザリガニの潜む(?)湖央部へ・・・。





 せっかく真冬の然別湖までやってきたのですから、ザリ好きの立場としては、いろいろと棲息環境についてもチェックしておきたいですよね! ということで、ちょっと寄り道をして崖下にある湖岸へ目を向けてみましょう。これも、湖面が凍っていなければ歩いて近づけないところです。





 氷が砕けて水面が出ているのがわかりますが、底質をチェックしてみましょう。大小の礫に加えて、かなりの量の落ち葉が確認できますよね?




 ここは寒いだなんて言っていられません。手袋を脱いで、実際に落ち葉を手に取って見てみましょう。見た感じ、多いのはカエデやミズナラの類いでしょうか? 実にイイ感じで仕上がっており、ザリたちにとっては、まさに「餌の山」といったところです。これだけ厳しい環境にあって、それでも相当数のザリガニたちが生き延びているのは、もちろん、彼ら自身に寒さに対する耐性があることもありますが、環境的に、それだけの個体の生存を支えるだけの「栄養源」がある・・・という側面も忘れてはなりません。





 さて、撮影クルー本隊の方へと話を戻しましょう。今日は、昨日と違って天気も穏やかなので、かなり湖岸から離れた場所にポイントを定めます。本来であれば、本当の意味での湖央、つまり「然別湖のド真ん中」地点付近まで行きたかったのですが、まだ結氷して時間が経っていないこともあり、さすがにそれは危険だろうということで断念しました。仮に行けても、水深があり過ぎて潜水調査に向かないですもんね。それでも、湖岸から10分近く歩いて、やっと辿り着いたこのポイント、後方の温泉街が小さく見えます(苦笑)。




 昨日と同様、チェーンソーで「突入口」を開けます。天気がよいせいか、昨日よりも簡単に開いたような感じもしなくはありませんが、逆に、白黒のコントラストが昨日以上に際立っていて、やっぱり怖い・・・(苦笑)。


 漆黒の湖底に潜む秘密を暴く秘密兵器! そう、照明装置付き水中カメラです。これなら、日光のまったく届かない湖底でも、ザリガニたちの動きを確実に映像に収められるはず! 潜水するダイバーの装備も、昨日と比較して、さらに重装備です。





 そして、第2回目の潜水、GO!

昨日とは異なり、水深は10メートル近くある模様で、大型個体の期待は否が応でも高まります。最初は、撮影を兼ねた15分以上の潜水で、合計11匹ものウチダザリガニを捕獲しました。ところが、あまりの寒さに潜水機材が凍結し、酸素ボンベが使用不能になるというトラブル発生! さすがのプロでもボンベなしで氷に覆われた湖に潜るのは危険過ぎます。結局、昨日分との合計30分弱で、今回の潜水調査は終了となりました。


 あまりの寒さに、湖上での活動も限界・・・。捕獲個体の計測は湖岸に戻り、テーブルをお借りして暖をとりながら行ないます。データを記録し、撮影した個体のうち、代表的な個体を何枚か紹介しましょう。

 予想通りというか何というか、ともかく巨大ザリガニは捕獲できませんでしたが、今回揚がってきたのは、間違いなくウチダザリガニでした。やはり、昨日とは違って、ある程度の水深がある分、揚がってくる個体も大きなものが多くなっています。ウチダを見慣れている人間からすれば、充分に想定できる程度の「大きな個体」なのですが、アメリカザリガニしか見たことのない人からすると「相当のデカさ」だったようで、都会人クルーの一部は大歓声! こちらが逆にビックリ・・・でした。
 ダイバーの話では、湖底は大小の礫で覆われている場所と、比較的平坦でマッディーな場所とがあり、礫底のところでは、それなりにウチダザリガニが確認できたそうです。また、マッディーな場所でも、光を当てるとゆっくりと歩いて逃げて行く個体が何匹かいたそうで、これだけの低水温でも、相応の活性を保っていることが推察されます。ウチダの強靭たる所以ですね。


 今回の調査で、私自身、最も気になったのが、この1匹でした。右側第1胸脚が再生肢であり、左側第1胸脚も、前節先端は欠損しています。この個体・・・というよりも、こういう個体がこの確率で揚がってくるという事実・・・。もちろん、きちんとした科学的判断を下すためには、然るべき量を、然るべき回数にて定期的に捕獲した上で、そこから計数されたデータを検討する必要があることは間違いないのでしょうが、それにしても昨日といい今日といい「傷モノ多過ぎ」という印象は拭えません。それだけ、然別湖の棲息密度が高いということなのでしょうか・・・。もしそうであるならば、人間の犯した罪の重さは計り知れません。




 餌による誘因方式では、この時期、なかなか捕まえられない抱卵個体も、徒手採取であれば簡単に揚がってくるものです。あれだけの過酷な環境の中、それでも落ちることなくビッチリついている卵・・・。改めて、ウチダザリガニの繁殖力の強さには驚かざるを得ません。





 その昔、この然別湖は、ニホンザリガニの有力な棲息地の1つでありました。しかし、今、ここでニホンザリガニたちの姿を見ることはできません。そして、これだけウチダの勢力が広がり、定着してしまった以上、将来、ここに再び、ニホンザリガニたちが戻ってくることもないでしょう。
 初日の潜水調査ポイントを、帰り際、振り返ってみます。切り取った氷は、広大な湖面を吹き荒れる地吹雪を前に佇むニホンザリガニたちの墓標のような、そんなうら悲しささえ感じさせられます。
 平成14年に川井先生、中田先生らが発表した論文によると、1990年代前半ごろからみつかるようになった然別湖のウチダザリガニは、同じく1990年代後半ごろから急激にその分布域を広げ始め、当初、温泉街付近に限定されていた棲息確認地点も、1年に約500メートルの速さで広がり続けているのが実情です。然別湖の北端には、貴重なミヤベイワナの産卵地であるヤンベツ川が注ぎ込んでおり、もし、ここまで彼らの棲息域が広がってしまうと、ミヤベイワナに対する直接的なダメージも充分に考えられることです。

 私たちが本当に大好きな生き物であるはずのザリガニが、彼ら自身の意図ではなく、私たち人間の所業によって、図らずも誰かの、そして何かに対する加害者になってしまう・・・。私たちは、こういう厳然たる事実に対して、何を考え、何をしたらよいのか・・・? まだ見ぬ別の地に、このような「新たな墓標」ができてしまう前に、私たち自身、もう一度、考えてみてもよいのではないかと思えてなりません。