好きで飼育してるんだから、思い入れは・・・ある。思い入れがあって飼育してるんだから、思うところは、いっぱいある!
 ザリガニに魅せられて幾星霜・・・。多くの仲間や先生方、そしてショップの方々とお付き合いをさせていただきながら、愛するザリたちと向かい合う日々・・・。そんな私が、思うところを徒然なるままに述べさせていただいちゃうのが、このページです! ここに書かれてあるのは、ホンネではあるけど、飼育に役立つものではありません。ま、B級エッセイ集・・・とでも申しておきましょう!
 本当は「飼育日記」にしようと思ったんですけど、飼育技術がこれだけ未熟なザリガニというジャンルじゃあ、危険も大きすぎるというもの・・・。伝言板にお尋ねの書き込みがあったって、私とCray氏、くいくい氏で、みんな意見が違うこともザラですもの!
 てなワケで、どちらかといえば「無駄」なコーナー。おヒマな人だけ、お付き合い下さいな。


ここでは、こんなムダ話が収録されています


最終更新日 平成11年2月22日



少々難あり・・・だからナンジャイ!


 ショップ巡りなんかしてますと、時たま目にするのが「少々難あり」っていう個体ですよね。他の魚種なんかはよくわからないけれど、だいたいが通常個体のン%引きにされてます。値札が派手な反面、中にいる個体は、何だかちょっと寂しそう。ま、商売だから仕方ないですけど。
 ただ、ザリの場合、果たして本当に「難あり」なのか・・・と考えると、ちょっと納得行かないところもありますわな。ザリで言う「難あり」は、だいたいにおいて、第1胸脚なんかがない個体だったりするんですけど、よっぽど大きな老成個体でもなければ、飼育しているうちに、放っておいても再生するもんです。特にチビなら、そんなものは「御愛嬌」なのに・・・。あるショップで、さり気なく値段を聞いたら、「こっちは傷モノだから、1000円ひいときますよ!」だって! 「傷」って言われると、さすがにいい気はしないもんです。幼体なんかの場合、欠損がある個体の方が、当然ながら前倒しで脱皮して行くわけで、自前の水槽で脱皮させることを一つのポイントだとするのなら、かえって有利なんじゃないかとも思ったり・・・。
 そういえばずっと前、M原くんという私の友人が、こうした「傷モノ」ばかりのディスカスを買ってきて飼育していたことがありました。ハタから見ていると、ひねくれ者というかもの好きというか・・・。何となく貧乏くさい感じもしますし。
 そんな彼に、その真意を尋ねてみると、彼はニコッと笑って、
「傷モノには、単にどこかが欠けてるだけのものと、状況的にかなりヤバくなってるものと2つあるんですよ。欠けてるだけのヤツなら、気を入れて飼えばすぐに治る・・・。これは単純に得なんです。状況的にヤバくなってるのは、本当にダメになる場合もあるけど、いろいろ試してみれば、3回に1回くらいは立ち直るもんです。これは、普通じゃ絶対体験できないわけで、すごくいい勉強なんですよ。自分の飼ってる個体を、わざと病気にするバカいないでしょ? スキルアップの好材料ですよ。だから、どっちにしたって損はない。一石二鳥ですって!」
 フムフム。スキルアップの好材料か。言い得て妙だなぁ・・・。私は、えらく感心してしまいました。
 確かに、「完成品」はいいものです。どうせ迎え入れるなら、よりいいものを・・・という気持ち、わからなくもありません。でも、そうした個体だけしか扱わなければ、立て直しの技法なんて、そうそうわかるものではないし、下手をすれば、大事な個体が危機に瀕した時、「ただ見守るだけ・・・」という悲惨なことにもなりかねません。そう考えると、「少々難あり」個体には、また違った魅力があるのではないか・・・と考えてしまうのです。
 昨年の暮れ、あるショップでマロンを1匹見かけました。バーンスポットがガンガン出ていて、誰が見ても「かなり重症」であることがわかりました。店主も半ばあきらめ顔で、「よかったら1000円で・・・どう?」ってな感じ! で、M原くんのあの言葉を思い出していた私の左手には、ふと気づくと、ビニール袋がさがり、財布からは夏目漱石が1人、消えていました。そう、スキルアップを目指さなきゃ!
 結果はって? さんざんトライしたんですけど、惨敗! 2週間しかもちませんでしたよ。残ったのは、1本の空き水槽と、「バーンスポットは、やっぱり早めに脱皮させないとダメ」という認識のみ・・・。思えば、ザリ飼育で最も欠落している部分が、この「立て直し」ってヤツですよね。どうせなら、我々も、こうした「難あり」個体を立て直せるだけの技量を持ちたいところ・・・です。


赤い大地への想い


 今、我が家のマッキントッシュからは、80年代の大ヒット・ナンバーである、メン・アット・ワークの名曲「ダウン・アンダー」が流れています。とにかく、最近は80年代音楽がもてはやされてるそうで、FMなんかをかけていても(もちろん、私は千葉県人なんで、専らBay-FMなんですけど)、こうした音楽が「ナツメロ」的に紹介されるもんですから、車の中でも、狂喜乱舞・・・なんてこともあったりします。う、トシがばれる・・・。
 さて、このメン・アット・ワークというバンド、オーストラリアのバンドだったんですね! で、曲名「ダウン・アンダー」は、ズバリ「オーストラリア」を指すそうで、こうして聞き直すと、オーストラリアのザリをメインに飼っている私には、妙に因縁めいて聞こえるから不思議です。
 私たちパラスタシダエ科系のキーパーにとって、オーストラリアは「憧れの地」。カンガルーとコアラの国、オーストラリアへの想いは尽きることがありません。マーレー川の川岸で、水面に消えるユーアスタクスを見ることができたら、もう、死んでもいい! なんて思ってます。
 メンバー同士で飲んでいても、出るのはそんな話ばかり。一応、昼は養殖場を見学したり、ショップ巡りなんかをして、夜は川岸で個体の生体観察をしようぜ・・・なんてね! 優しく輝く南十字星の下で、フォーエックス・ビール(オーストラリアのビールです! 飲んだことあるけど、エビスの方がうまかった!)を飲みながら語り合えたらいいねぇ・・・と、各メンバーが、勝手に頭の中で想いを巡らすワケ。  もっとも、そんなオッサンたちには仕事も家庭もあって、観光ならともかく、得体の知れないザリガニごときのために渡航するなど、そう簡単にできないことくらい、みんなわかってるんですけど、こうして一人でいても、「ダウン・アンダー」なんかが流れてくると、そういう想いがフツフツフツ。いつかは行ってやるぜ! 赤い大地よ・・・。
 「憧れがなくなったら、人生は終わりだ」なんていうそうです。「すべてを悟ったら、あとは死ぬだけだ」とも・・・。ザリ・キーパーである我々には、憧れがいっぱい! タスマニア島に行って、タスマニア・オオザリガニを見なきゃいけないし、マーレー川では、マーレーザリガニとデストラクター黒個体を見なきゃいけない! 飼育では、ユーアスタクスの繁殖だってこの手で成功させなきゃいけない! それに、摩周湖に潜むといわれる巨大ザリガニだって、この目で見なきゃいけない! なのに、今の我々は、ユーアスタクスはおろか、養殖種であるマロンの繁殖すらままならないんです。「悟り」なんて程遠い、修行が始まったばかりですもの! これじゃ、恥ずかしくて死ぬに死ねませんやね。
 とにかく、地道に進むしかありません。みんなで力を合わせて、いつかは「悟り」の境地に達したいものです。差し当たって、明日は英文献の訳を進めよう! おっと、その前に機関誌の原稿を書かなきゃマズい! 次号の原稿はアメザリ! まったく、アメザリごときで頭を悩ませているんだから、「悟り」の境地なんて、当分先になりそうですな・・・。「ダウン・アンダー」が、ちょっと悲しく聞こえる夜でございました。


見て!見て! 白いよ!


 私の場合、根本的に田舎モンですから、人混みは苦手です。デパートなんか行っても、あの人混みには、たちまち「鼻上げ」状態! こんな時は、決まって屋上に逃げることにしています。
 デパートの屋上って、何だか不思議な魅力がありますよね! 屋内売場とのギャップからか、とにかく妙な開放感があって、私のようにヒマそうなオッサンだの、奥さんの買い物が終わるのを待つ子連れのオトーサンだのが、ちょっとした遊戯施設の周りに腰掛けて、降り注ぐ陽射しを浴びています。そして、ミニ汽車ポッポには、子どもたちの歓声があって、ホントにいい雰囲気。
 でも、それにも増していいのが、ペットコーナーがあること! もちろん、すべてのデパートにあるわけじゃないですけど、どういうわけか、ペットコーナーっていうのは、屋上にあるのが相場みたいです。
 こうしたショップっていうのは、同じペットを扱っていても、どちらかというと「一般客」向けで、幅広いかわりに揃っている種類も一般魚が基本! ゴールデン・レトリバーやミニチュア・ダックスフンドが愛想を振りまくケージの向かいに、エンゼルとネオンテトラが泳いでいる水槽があったりします。こんなところでは、売られるザリも、せいぜい白ザリがいいところ。「すいません、クーナック探してるんですが・・・」っていったら、「それって、どんな犬ですか?」なんて言われちゃったりして・・・。
 マニアっていうのは、ある種の「傲慢」な生き物でして、こうしたショップに行くと、「フン、何もありゃしねぇ・・・」などとバカにするか、店員さんを捕まえては、大したことない自分の知識をひけらかすか・・・なんてことが多いんですが、こうしたシーンを目にするたびに、「俺は大丈夫だろうか・・・」なんて心配になったりします。「実るほど 頭を垂るる 稲穂かな」 人間、やっぱり謙虚じゃなきゃね!
 ある休日の昼下がり、例によって屋上に「避難」してきた私は、これまたお決まりのごとく、ペットコーナーの水槽を覗いておりました。すると、近くにいた小学校低学年くらいの男の子が、水槽にいた白ザリを見つけて大ハシャギ! そばにいた優しそうなパパを捕まえて、「パパ、見て見て! 白いよぉ!」と熱っぽく語っています。優しそうなパパも、そこはしっかりとお付き合い! 一緒に水槽を覗き込んでは、あれこれと話をしているようです。フム、いつも「うるさい、あっち行け!」などと怒鳴り散らしている最低パパであるこの私。これは、パパとしても見習わなきゃいかん!
 てなわけで、ほほえましい光景でした・・・と締めくくりたいところなのですが、状況は一変! 今度はその男の子が、その水槽から離れようとしません。かすかに聞き取れる会話から類推するに、どうやら、自分の部屋で飼育したいらしい・・・。これにはパパも困ったようで、出たところのベンチに腰掛けながら、いろいろと話し込んでいましたが、ついに根負けしたらしく、1匹3800円也の「ホワイトザリガニ」を買って帰りました。キラキラした男の子の表情とは対照的に、パパのちょっと冴えない顔・・・。フム、ウチは今まで通り厳しく行こう・・・なんちゃって。
 何だか馬鹿らしい話になってしまいました。ただ、私には、あのキラキラした男の子の表情が忘れられません。我々からすれば、たかだか白ザリ。でも、その男の子にとっては、かけがえのないスターなんです。今でこそ、「なぁんだ、白ザリかぁ」なんて言っている我々も、本当に最初からそうだったのでしょうか?
 私は、初めて白ザリを目にした時、目からウロコが50枚くらい落ちました。この世のものとは、とても思えなかった! そして、燦然と輝く「5万円」の値札に、出るのは溜息ばかり・・・。だから、初めて手にした時は、もううれしくてうれしくて、どうしていいかわからないくらいでしたよ! そんな白ザリを、最近はちょっとバカにし始めている・・・。そう、白ザリは何も変わっていないのだから、私自身が変わってしまったんですね!
 男の子の表情は、見ていてとてもほほえましいものでした。でも、何か大きな、大切なものを示唆しているような気がして、フッと考え込んでしまいました。「初心忘れるべからず・・・」 いい言葉です。そして、どんな状況であっても忘れてはならない言葉です。
 そんなことに思いを巡らすオジサンに、昼下がりの穏やかな陽射しは、いつもと変わらず降り注いでおりました。


新しい命の雪が降る


 クリスチャンでも何でもない、ただの「いい歳になったおじさん」にとっては、特に何があるわけでもないのが「クリスマス」なんですが、それでもやっぱり、いいもんですね。寒いはずなのに、なぜかあったかい。どこかホッとさせてくれる美しさがいいもんです。
 先日、伝言板を拝見していたら、白麻呂さんという常連の方が、「カボンバのクリスマス・ツリー」という言葉を使われていました。妙に感心してしまって、翌日、さっそく自分の水槽にカボンバを投入してみますと、なるほど、白ザリの水槽には、「カボンバのクリスマス・ツリー」ができました。この水槽は、白ザリの掛け戻し作業のために使っていたもので、ちょうど先月、F2が採れたばかりだったのです。だから、白あり褐色ありの、それはそれは見事な「クリスマス・ツリー」に・・・。いやぁ、いいもんですね! 今まで、こんなシーンは何度も目にしているはずなのに、とても新鮮に見えてしまいます。喧嘩でもしたのでしょうか、時折水槽内を飛び跳ねる稚ザリたち・・・。まるで「ホンモノの雪がふっている」かのようです。なんだか、急にうれしくなって、水を換え、コケを落としてガラスを拭き、蛍光灯をつけてやると、それはそれは、いいムードですよ。何だかウチの水槽じゃないみたい!
 ザリ水槽・・・というと、とかくこうした「ムード」とは無縁になるものでして、せっかく手の込んだレイアウトをしてやっても、翌日には、ザリさんがキレイさっぱり「整地」されていることもザラ。キーパーの方も、そんなことを繰り返すうちに、いつの間にやら無頓着になってしまって、デコボコの底地に塩ビ管がドーン! コケの1つや2つは御愛嬌で、水草なんて、所詮は餌さ・・・と、すっかり開き直ってしまいます。で、たまにショップで綺麗な水草水槽を見たりなんかすると、「ウ〜ム、いいなぁ・・・やってみるか」なんてね! できるわけないのに・・・。
 水槽をボーッと眺めることには、リラクゼーション効果のあることが、医学的にも確かめられているそうです。なるほど、待合室なんかには、水槽が置いてあること、多いですもんね。何かと世知辛い昨今、やっぱりこうした水槽がもてはやされるのでしょうか・・・。ウチの家族に言わせれば、「アンタも、どうせやるなら、綺麗な水槽1本で綺麗な魚を飼えばいいのに!」ってことになるんですが、これもきっと、そうしたことなんでしょう。確かに、パッと見ただけでは、生き物が入っているかどうかもわからない水槽がゴチャッとあっても、普通の人には、リラクゼーションのリの字もないでしょうし、本人は得体の知れない水槽を前に、日がな一日、ああだこうだとやっているわけですから、あからさまに批判されるのも仕方ない・・・ですね。
 でも、やってる本人からすれば、それはもう、大切なものなんです。リラクゼーション効果というよりも、妙なアドレナリンがビンビンに分泌され、次々と涌いてくる「疑問」と戦っちゃう。「ウ〜ン、ダメだ! これじゃ意味がない・・・」なんて、薄い頭を掻きむしりながら、でも、楽しくて仕方ない・・・。まるで珍妙な思想に洗脳されたかのようです。周囲の批判は「激励」と受け止め、とにかく進むのみ!
 そんな哀れな「迷える子羊(改め、子ゴリラ)」を、やっぱり神はお見捨てになりませんでした。ホッと心が休まるひと時をと、お授け下さったのが、新しい「命」たちが競って輝く、それはそれは綺麗なクリスマス・ツリー・・・。あるものは灯となり、あるものは積もる雪となり、そしてあるものは深々と降る細雪となって、心暖かな「冬」を演出させてくれています。ああ、やっててよかった・・・。そんな気持ちにさせられる、静かなクリスマスになりました。


「アジアン・ブルーロブスター」の混乱を楽しむ


 ザリ・フリークとは因果なもので(生き物フリークはみんなそうかも知れないけど!)、「新着種」と聞くと、なぜか心ウキウキしてしまうものです。水槽や予算の問題もあって、現実的には飼育できないことなどハナからわかっているのに、なぜか見たくて仕方なくなっちゃう! で、実際にそれを見ると、今度は「飼いたい」という欲求に苛まれることになる・・・。こんなことの繰り返しです。ショップに並ぶ水槽の前で、苦吟することン十分! ハタから見たら、おめでたいというかアホ臭いというか・・・。
 ザリガニのインボイス・ネームは、数年前から比べるとだいぶ揃ってきたものの、他種から比べれば、まだまだメチャクチャな状況です。ですから、「ニュー◯◯」だの「スーパー◯◯」だの、そんな程度のネーミングで、そりゃあ大騒ぎ! まだまだ、我々のレベルも知れたモンですよね! 頑張らなくちゃ。
 さて、数年前からポツポツと輸入されてくるものの中に、「アジアン・ブルーロブスター」っていうのがいます。詳しい話はさておき、「◯◯ロブスター」ってぇのは、たいていザリを指す場合が多いモンですから、当然、フリークたちは大騒ぎに! 「シンガポール便だって!」と、同業者仲間の情報を持ち込んでくる業界通。文献引っ張り出してきて「あれ、ザリはシンガポールにいたっけ?」と、必死に正体探しを始める学術派。「価格から考えると、いいとこヤビーだな」と推理する経済事情通。「食用ルートだと、こういう可能性があるぜ!」と、他要素まで持ち出す現実派・・・。そりゃあもう、凄いモンです。
 で、みんなそれぞれが嬉々として、あるいはドキドキしながら個々の馴染みのショップに、水槽を覗きに出掛けると、そこには胸脚の綺麗なオニテナガエビが・・・。それぞれ、げんなりとして帰ってきては、また、ああでもない、こうでもないと話は尽きないのです。
 もちろん、ここで私自身、「オニテナガエビだから悪い」というつもりは毛頭ありません。かくいう私も、以前、オニテナガエビは飼育したことがありますし、デカいサイズになりますと、あれでもって結構な迫力、ありますものね! 20センチクラスなんて、ホント、凄いですよ! ハサミも綺麗だし・・・。JCNにも、テナガ系専門のメンバーがいるくらいですからね。
 それにしても、未開拓のジャンルというのは、本当にいいもんです。確かに、わからないがゆえのつらさ・・・というのはありますし、それには何度も苦汁を飲まされました。私の友人には、ディスカスをやってる人もアロワナをやってる人もいますが、彼らなら「飼育書」を読めば済むだけの内容さえも、こちらでは右往左往してしまうものですから。
 でも、わからないから、大胆な推理もできるし、わからないから、間違えても責められないし笑われない! 「あ、なるほどね!」でOKなんです。バカな推理も、たまには当たることがあって、そしたらなおのこと嬉しい! こんなこと、ディスカスやアロワナじゃ、恥ずかしくてとてもできませんや・・・。
 たまにメンバー同士で会うと、いつも「何とかしたいね!」「もっとレベルを上げたいね!」という話になります。確かに、そうでなければなりません。でも、実のところ、こうした低レベル状況での推理合戦。楽しくて辞められないのも本音。下手な物知りになるより、楽しいワカランチンでいたい・・・っていうのも、一つの真理なんですよ。ウ〜ム、難しいところですなぁ。
 ちなみにアジアンブルー・ロブスター(オニテナガエビ)。基本的には純淡水棲ですが、ほんのちょびっと人工海水を混ぜると、結構元気になるもんです(学術上の裏付けはありませんが・・・)。あと、あんなスレンダーなのに、メチャクチャ気が荒いです。共食いもビシバシ! 複数飼いは、ブーですぜ! それと、料理して食うなら、パエリアが一番・・・でしょう!


展覧会の絵


 先日、何気なく立ち寄った、とある駅ビルのコンコースで、幼稚園生の描いた絵が展示されていました。見るからに「上手そうな」子が描いたとわかるような作品から、絵だか何だかわからないような前衛芸術的作品まで、それはそれはバラエティーに富んでいましたが、唯一、共通していたのは「元気がいい」こと・・・。上手い、下手を気にせず、自らの感情を、思いのまま画用紙にぶつけることができる幼稚園生ならではのタッチに、美術の成績が「万年2」だった私も、思わず足を止めてしまいましたよ!
   で、やっぱりというか何というか、ザリガニらしい絵もありまして、きっとその幼稚園で飼われているのでしょうか、他の動物に混じって、3枚くらいが飾られていました。中には、怪獣顔負け・・・とでもいうくらい「コワそー」なザリさんもあって、おそるおそる描いていた園児の顔が目に浮かぶようです。やっぱり今も昔も、アメザリは、子どもたちにとって「アイドル」なんですね。
 さて、それらの中でも、私が特に見入ったのが、1枚の真っ赤なアメリカザリガニの絵。でっかいハサミをドーンと持ち上げて描かれています。構図は「ありがち」なんですけど、どういうワケでしょうか、クリクリの目があって、それが笑ってるんです。決して上手い絵じゃないし、残念ながら金の紙も銀の紙も貼られていませんでしたが、私は、何とも言えず嬉しくなってしまいました。
 心理学の知識は皆無に等しいんで、ハッキリしたことはわからないのですが、小さい子どもというのは、自分を取り巻く様々な事象を、ことごとく人格化して捉えるそうです。太陽の絵が、なぜか「ニコちゃん」だったり、駐車場の車を指さして、「あのね、あそこのブーブー、おねんねしてるよ」なんていうのは、その典型なんだそうで・・・。しかも、そこでの捉え方そのものが、その事象に対するその子の評価だ・・・とか。私も、それを聞いた時には「なるほどねぇ・・・」と思いました。
 私の前に掲げられているザリガニは、やっぱり上手ではありませんでした。一生懸命スケッチしたんでしょうけど、胸脚は3対しかなかったし、エビ・カニお決まりの真っ赤っ赤・・・。でも、その目はしっかりと笑っているんです。たとえそれがあり得ないことなのは充分にわかっていても、そんなことはどうでもいいんです。きっとその子の前で、ザリガニは笑っていてくれたのでしょうから・・・。
 動物愛護、自然保護・・・。こんな運動が、環境破壊の激化と相まって、最近、ますます盛んになっているそうです。なるほど、この響きからは、絶対的な「善」の香りしかしてきません。もちろん、私たち人間にとって、これは「善」であり「責務」です。「関係ねぇよ、どうだって・・・」よりは、よっぽどいいに違いありません。
 でも、本当にそれだけでいいんでしょうか? 本当に人間は、動物を「愛護してやる」「保護してやる」ような偉い立場にいるのでしょうか? 「保護」という言葉。これは、強者によってのみ使うことを許された高圧的な言葉であり、考えようによっては、傲慢極まりない言葉です。強い人間が、自らの都合で相手の存在を脅かし、脅かされた相手を見て「保護」という憐れみの手を差しのべる・・・。そして、自らの「善」を確かめ、いくばくかの満足感を得る・・・。現在の「自然保護」という言葉には、どうしてもそんな匂いが感じられてなりません。
 最近の決まり文句である「地球にやさしい」だって、よくよく考えてみれば、同じことですよね・・・。「我が社は、地球にやさしい企業を目指します・・・」 燦然と輝くエコマークの横に、さもありなんと陣取るこの口上。 一体、誰のためにやっているのでしょうか?
   幼稚園児に「自然保護の大切さ」と説いたところで、果たしてわかってくれるのか・・・というのは、私にもわかりません。でも、それをもって「彼らには、わかりっこない。大人から率先してやりましょう」と考えるのは、それこそ大勘違いであるように思います。彼らには、「大人の論理としての保護」はできません。でも、他の生き物と友だちになり、同じ人格をもって「対話」し合うことはできるのです。真の「自然保護」を考える時、果たして、どちらが正しい姿なのでしょうか? それを以てして「劣っている」といえるでしょうか?
 何の価値もない満足感と自己優越感に立脚した「保護」よりも、相手の笑顔が感じられる「愛着」の方が、私には大切であるように思えてなりません。相手の笑顔が見えるからこそ、苦しさや悲しさも感じられ、それは必ずや「具体的行動」によって結実するであろうからです。
 きっと、あの絵を描いた幼稚園児は、そこまで考えもしなかったことでしょう。でも、少なくても、ザリガニに「笑顔」を感じたはずです。だからこそあの絵は、本来、自然保護の旗手となるべき我々大人に、「言葉では表現しきれない示唆」を与えているような気がしてなりません。