安心から心配へ
高橋 直樹投手(日本ハムファイターズ)




まだ、難波のグリーン軍団に心奪われないころ、一生懸命応援していた日本ハムファイターズにおける「エース」は、背番号21を背負った流麗なるサブマリンでありました。
右手を高々と上げたかと思うと、すっと斜め下から繰り出されてくる速球や変化球・・・。剛球と呼ぶにはあまりにもしなやかで、クセ球と呼ぶにはあまりにも洗練された不思議な球が、打者たちに凡打の山を築かせて行くのです。
 彼がマウンドに登る時、不思議と、いつも涼しい風が吹いていました。実際には、熱い展開だったりしたかも知れませんし、見る人間が、野球のことなど何も知らない少年ファンだったからかも知れません。でも、少なくとも1人の野球少年の目には、どんな時でも彼の投球は「涼しげ」にしか見えなかったのです。淡々とマウンドに向かい、どんな時にも表情を変えることすらせず、剛球ともクセ球とも思えない無機質なボールをスッ、スッと投げ込む・・・。キャッチャーのミットには、毎回そんなボールが当たり前のように収まり、当たり前のように敵チームの打線を封じると、当たり前のような表情でベンチへと戻る・・・。そんな記憶しかないのです。
 「乾いた」試合。「無機質」な試合。まるで、精密無比な機械がマウンドに立っているような、そんな感覚・・・。1人の野球少年にとっては、「根性」「精神力」といった表現から最も遠いところにいたのが、この投手だったのです。「好き」というよりも「安心」して見ていた、彼の試合・・・。何かクールで、何かドライで、でも、たまらなくカッコいいのが、この時のエース21番でありました。決して強くないチームにあって「安心できる選手」ほど嬉しいものはなかったのです。これは、野球を熟知した大人のファンも、野球の奥義など全く知らない少年ファンも、全く同じだったに違いありません。
 少年が、難波のグリーン軍団に心奪われ始めてしばらく経ったころ、このエースは、広島へトレードされ、チームを去ることになりました。相手は「守護神」江夏・・・。この守護神は「優勝請負人」として、ハムのファンに歓喜をもたらすと同時に、自らの名声も確固たるものにしました。反面、活躍の場をセ・リーグに替えた元エースは、ほとんど勝ち星を挙げることができません。守護神が働けば働くほど、このエースには厳しい視線と容赦ない非難が降り注がれました。もう、終わりに違いない・・・。
 しかし、誰もがそう思ったころ、再びパ・リーグに舞い戻り、新鋭西武ライオンズの一員となったこのエースに、再び栄光の冠が輝きます。昭和58(1983)年、13勝3敗での最高勝率タイトル獲得・・・。広島時代に味わった苦難などホンのカケラも見せることなく、あの時、後楽園球場で少年ファンを喜ばせたままのクール姿で、今度は愛するホークスの打撃陣を料理して行ったのです。涼しげで、淡々と、そして無機質のまま・・・。

「今日の向こうはナオキかぁ・・・。勝てるかなぁ? 無理かも知れないなぁ・・・」

彼がマウンドに立つことは、ほんの10年の間に「安心」なことから「心配」なことへと変わってしまったのです。何かクールで、何かドライで、でも、たまらなくカッコいい・・・。10年経っても「根性」「精神力」といった表現から最も遠いところにいたこのエースこそ、本当の「プロ」だったのかも知れません。



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