チャボは青空の下で笑う
島田 誠外野手(日本ハムファイターズ)
他のスポーツ以上に「ゲン担ぎ」が重んじられる野球界にあって、何と優勝翌年にユニフォームのフル・モデルチェンジをするという大胆不敵(不可解?)な行動に出た日本ハムファイターズ・・・。しかも、前モデルからは想像もつかない鮮烈なオレンジ主体のデザインは、見る者の度肝を抜きました。「こんな色ってアリなのかよぉ。何か弱くなったみたいで、去年の優勝チームには見えないなぁ・・・」というファンの嫌な予感は見事的中! V2はおろか、優勝戦線からも徐々に見放されるようになってしまいます。
そんな中、小さな身体に溢れんばかりのファイトを漲らせ、後楽園球場を所狭しと暴れ回っていた「ファイター」こそが、島田誠外野手でした。とても届かないような際どいフライも、ダッシュでキャッチしたかと思うと矢のような返球・・・。3塁ランナーは苦々しそうにベースへ戻ります。
キラッと光るのは、守備ばかりではありません。この小柄なファイターを塁に出すと、今度は敵バッテリーが、決まって苦々しい顔をしました。それもそのはず。このファイターにとっては、フォアボールもシングルヒットも、2塁打と同じようなものだったからです。「コラァ!チャボぉ〜、チョロチョロすなぁ〜!」3塁側スタンドからは、悲鳴に近いヤジが飛びます。それでも2球目くらいには、2塁ベース上で涼しげな顔をしている「ファイター」の姿がありました。
こうして「チャボ」というあだ名を持つこのファイターは、およそそのあだ名からは想像できない電光石火の早業を、次々とファンの前に披露してくれました。そして、爽やかで暖かい笑顔で、ファンの声援に応えてくれました。毎年、当たり前のようにベストナインやゴールデングラブ賞を獲得しながら、最晩期の後楽園球場に明るい花を咲かせていたのです。柏原選手のところでも触れましたが、後楽園球場の青空には、何物にも代え難い開放感があったのでした。そして、その下で行われるプレーは、太陽の光なんかに負けないくらい、キラキラしたものだったのです。
昭和63年、後楽園球場の横には壮大な東京ドームが完成し、ファイターズの野球からは「青空」が消えました。そして、時代の流れというべきか、昼間からライトで煌々と照らされた、眩しすぎる緑の外野フィールドからは、あの「チャボ」の笑顔が、勇姿が、だんだん見られなくなって行きました。ドーム野球の到来は、チームも選手も、作戦までも変えて行ったのです。
雨でも試合が中止にならないことは、ファンにとってありがたいことかも知れません。空調の利いた環境も、野球を見るにはありがたいかも知れません。デーゲームの帰り道、日焼けした腕に驚くこともなくなりました。それも嬉しいことかも知れません。でも・・・。
大都会・東京のド真ん中で、日焼けし、汗を流し、時には雨に降られながら野球を楽しむ・・・。爽やかな風を感じ、青空を眺めながら、島田選手を始めとした「ファイター」たちの勇姿を、そして笑顔を見ることができたできたあの時代・・・。当たり前のようになってしまったドームの白い天井を眺めながら、ふと想いを巡らせてしまうのです。「もしかすると今よりもずっと、幸せだったのかも知れない」・・・と。
あのころ、大都会・東京のド真ん中で、チャボは青空とともに光り輝いていたのです。
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