鉄でできたお釈迦さま
衣笠 祥雄内野手(広島東洋カープ)




 「赤ヘル旋風」を巻き起こす以前の広島カープは、関東の子どもたちにとって、最も興味の薄いチームの1つでありました。当時の男の子にとって、赤は「女の色」でしたから、ユニフォームが赤になっていたらなっていたで、きっと批判もしたのでしょうが、そういう批判すら出ないほど、当時のユニフォームには大きな特徴がなく、それこそ好き嫌いを語る前に「興味も縁もない」チームだったのです。 ですから「長嶋、王、出てこい・・・」そう念じながら切った封の中から、広島の選手が出てきた時には、とりあえずセ・リーグということで、喜びもせず怒りもせず、淡々とアルバムに収めました。いつでもトレードに出せる要員ではありましたが、これまた、誰も要求などしてくるはずもなく、いつしか、こうしたカードの上には、新しい「トレード要員」カードがさし込まれ、忘れ去られて行きました。
 時は流れ、野球界には「赤ヘル旋風」が吹き荒れ、子どもたちの目には、否が応でも「真っ赤なチーム」の姿が焼きつけられました。北別府、達川、高橋慶、山本浩と、個性的な名選手が次々とブラウン管の中で躍ります。赤という色に対する強烈な拒否反応が出てくる中、いつしかクラスの中にも、自らを「広島ファン」を名乗る子どもたちが出てくるようになりました。そんなスター選手たちの中で、まさに一等星とでもいうべき輝きを見せていたのが、この衣笠選手だったのです。
 捕手として入団したにも関わらず、捕手としての芽は出ませんでした。甘いマスク・・・には、最も遠い容貌でありました。「ミスター赤ヘル」という異名をとった山本浩二選手のように、派手なホームランをガンガン放り込むような選手でもありませんし、足で相手バッテリーを錯乱させるような選手でもありません。長距離砲と中距離砲の、ちょうど中間くらいの選手でありました。
 でも、試合には、いつも出ていました。チャンスになると、その打棒はヘルメットと同じ色の火を噴き、勝利を呼び込みました。そして、厳しい死球を受けても、ニコッと笑って一塁ベースに走りました。そんなひたむきさと強さがファンに認められたからでしょうか、入団時の背番号にちなんで「鉄人28号」という愛称がつき、やがて「鉄人」として愛され、尊敬される選手へと花開いて行ったのです。
「アイツ、どうして怒んねぇんだ? つまんねぇよな!」
 ボールを当てられた相手に対して「微笑み返す」という反応をする・・・ということなど、当時の子どもたちにとっては「いいこと、悪いこと」などと言う前に「考えられないこと」なのでありました。「怒り爆発して、アッという間に乱闘開始」の方が、面白くもあり、または当たり前のことでもあったのです。ですから、衣笠選手のこうした「笑顔」は、子どもたちにとって、ある種の「物足りなさ」を感じさせるのに充分なものがありました。そういう背景もあったのでしょうか? 広島ファンを名乗る子どもたちにとっても、ヒーローは圧倒的にコウジであり、ヨシヒコでありました。
 「笑顔」の本当の凄さが理解できたのは、1塁へと走る衣笠選手の後ろ姿に、どの投手であったか、ぶつけた本人である投手が深々と頭を下げているシーンを見た時のことです。本当に、心の底から申し訳ないと思わなければ、あそこまで深々と頭を下げられるはずがない。ましてや、敵チームの選手だから、余計凄いことなんだ・・・。
 1塁上に立つ衣笠選手に、マウンド上にいる投手が、再度帽子を取って頭を下げると、1塁コーチと話しながら笑顔で手を上げ「まぁ、気にするなよ」みたいなそぶりを見せます。まるでお釈迦さまのような「アルカイック・スマイル」をたたえるその姿は、やはり「人間ばなれ」した「鉄人」なのでしょう。今、そんな思いでカードを見返してみれば、真剣な表情のどこかに、徳の高い笑みさえ感じられる「鉄人28号」の姿が写し出されておりました。



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