最強の「ワンポイント」
永射  保投手(クラウンライターライオンズ)




 80年代のパ・リーグを完全に制圧していた常勝球団、西武ライオンズ・・・。破壊力満点の打線に加え、このチームには、鉄壁の投手陣がありました。エース東尾に若武者渡辺久・工藤、そしてオリエンタル・エクスプレス郭泰源・・・。打ち崩せそうな先発投手などいませんでしたし、どこを探しても「先発の谷間」は見つかりませんでした。
 たまに、先発を打ち崩せそうな試合展開になると、レフトスタンドも期待に胸が膨らみます。ところが、そんな時に限って、ブルペンからやってくるのが、このピッチャーなのでありました。さほど大きくないこのピッチャーは、これまた極端なサイドスロー・・・。まるで、一塁からボールが投げられるようなボールが、伊東のミットにスポッと納まります。ホント、「スポッ」と納まる感じでした。怒った時の東尾みたいな「ズドーン」というほどの球威でもなく、かといって、我がホークスの西川みたいな「ヘナヘナァ〜」という感じでもありません。攻められているのか逃げ腰なのか、イマイチはっきりしないうちにバッターは討ち取られ、ふと気づくと、もうこのピッチャーはベンチに向かって歩いていました。場内には、ピッチャー交代のアナウンスが流れ、ブルペンからは、肩を作り終えた次のピッチャーが出てきています。試合は、まるで何事もなかったかのように再開するのです。
 下手をすれば1球で終わりでした。そして、とりあえず頑張っても、せいぜい10球くらいのもんでありました。ピッチャーが試合全体で取らなければならないアウトの数からすれば、たった27分の1・・・。「1日の仕事が打者1人かよぉ。あの野郎、いい商売しやがって・・・」レフトスタンドからは、ヤジにもならないタメ息が漏れます。しかし、実際には、もっともっと大きな仕事をしていたのです。たった1人相手の、それこそ「ワンポイント」であるには違いありません。しかし、ホークスに傾き掛けていた流れは、彼が1たびマウンドに立ち、そしてそのマウンドを下りる時には、いつの間にかライオンズ側に取り返されておりました。 「ア〜、今日は、あの時の攻撃だったよなぁ。あそこで1本出てれば、絶対に勝てたよ・・・」  帰りの西武電車の中で試合を振り返る時、私たちは改めて気づくのです。「あぁ、今日も結局は永射に抑えられたんだ」ということに・・・。

 決して大きいピッチャーではありませんでした。どこの球団にもいそうな「ワンポイント中継ぎ」投手のようにさえ見えました。でも、ライオンズというチームにとって最も苦しかったクラウンライターの時代、必死になってチームを支えた鉄腕だったからこそ、たった1人の打者を片付けるだけで、試合の流れを引き戻すことができたのでしょう。たった1つのアウトで、試合の流れを変える・・・。やはり、「神様」稲尾投手を生んだ平和台球場で育っただけのことはあったのです。フツーであってフツーでない、先発投手よりもはるかに怖い、史上最強の「ワンポイント」投手なのでありました。



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