打者を飲み込んだ「元祖ヒゲ魔神」
斎藤 明夫投手(横浜大洋ホエールズ)
ピッチャーが試合に出ることを「登板する」といいます。その高さや傾斜は、球場によって微妙な違いがあるそうですが、こんもりと盛り上がったピッチャーズ・マウンドの、しかも一番高いところにあるプレートに足をかけ、他の選手を見下ろしながらプレーできるのは、ピッチャー以外にありません。マウンドは、グラウンドのド真ん中に位置する、誇り高き「山」なのです。
でも、その「山」は、時として孤独感に苛まれ、時として疎外感に襲われる恐ろしい場所です。大きく見えるはずの、そして、物理的にも大きく見えなければならないはずのピッチャーが、時として小さく、そして寂しそうに見えることがあるのも、そのためでしょう。
チームの絶対的なエースであった平松に力の翳りが見え始め、そして新エース遠藤が好不調の大波にさらされる中、横浜大洋の屋台骨を必死で支え続けていたのが、斎藤投手です。先発・押さえと、チーム事情によって働き場所は変わりましたが、いつだって自慢のヒゲをピクピクさせながら、堂々とマウンドに立ち、プレートを踏みつけていました。震撼させるような豪速球を投げるわけではなく、針の穴を通すような超精密コントロールで打者を翻弄するわけでもありませんでしたが、なぜか、我らが巨人打線は、彼の前に凡打の山を築きました。
実際、彼はマウンドで、それはそれは大きく、高く見えました。そして、(実際には、決してそんなことなどないのですが)マウンド上に立つ彼は、いつだって、不敵な笑みを浮かべているようにも見えました。ひときわ高いマウンドに立ち、ひときわ高い位置から見下ろすヒゲ魔神・・・。「見下ろす」というよりも「見下す」という表現の方が適切だったのかも知れません。篠塚・原・そして中畑・・・。若いバッターたちは、ボックスに入った時から、すでにこの「ヒゲ魔神」に飲み込まれておりました。
斎藤投手は、決して他人を見下すような、底意地の悪い人間ではありません。それは、テレビのスポーツニュースで見せる「本当の笑顔」で充分にわかりましょう。でも、戦う時は違ったはずです。徹底して自分を大きく見せ、徹底して相手を見下し、そして徹底して相手を飲み込んでいたのでしょう。たとえそれが、見る者に「不敵な笑み」と受け止められようとも、彼は、マウンドを預かる男として、相手バッターを飲み込み、打ち取って行かねばならなかったのです。大洋以外のファンには、決して好かれることのなかった斎藤投手のマウンド姿・・・。でも、一人ぼっちのマウンド上で、次々と襲いかかってくるバッターを徹底して飲み込んだ、その「気合い」と「度胸」は、ものすごいものがあったはずです。
「あの顔を見ただけで、もう打てなくなっちゃうんだよ。このハナクソが・・・って顔で投げてくるんだ。チクショーって思うけど、手も足も出ない・・・・」 引退直後の中畑選手が、あるテレビ番組で、そう述懐していました。技術と技術がしのぎを削り、ハッタリなど一切通用しないプロの世界で、相手にそう言わせるだけの「不敵な笑み」とは、とてつもなく恐ろしく、偉大なものであったに違いありません。
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