「正義」の敵役
星野 仙一投手(中日ドラゴンズ)
私が住んでいる千葉県佐倉市は、何といっても長嶋茂雄の出身地! 自転車で20分も走れば、長嶋選手の生家に行ける距離にいるわけですから、当時の子どもたちからすれば、巨人こそが絶対の「与党」。ま、中にはお決まりの阪神ファンもいましたし、「団地組」といわれていた、新興住宅地から通ってくる子どもの中には、親御さんの関係で広島ファンや大洋ファンもいたのですが、中日ファンやヤクルトファンになりますと、クラスで1人いるかどうか・・・。中日戦の翌日も、王や長嶋の凡打を嘆く話題は出ても、敵軍エースの話題など、滅多に上がろうハズがありません。
そんな中、唯一、子どもたちがため息と共に話題に上げる選手がおりました。それが、当時「巨人キラー」の名を徐々に轟かせ始めた星野投手だったのです。
確かにテレビを見ていても、ブラウン管の中にいる20番は、自信たっぷりでありました。我らが王を睨みつけ、張本をまんまと打ち取り、そして、平然と淡口のバットを3回くるりと回してしまう・・・。一人一人を料理するたびに、雄叫びをあげ、そして「当たり前だぜ!」みたいな視線をブラウン管のこちらにぶつけながら、堂々とベンチに引き上げて行く・・・。巨人ファンの子どもたちにとって、これほど悔しいことはなかったのです。「本当に、巨人が取ればよかったんだ・・・」 テレビを見ていた大人たちは、口々にそう言っていましたが、星野選手の入団経緯など知ろうハズもない子どもたちにとって、星野選手は、表面上、とにかく憎く、とにかく悔しい存在だったのです。
でも、翌日、精一杯の悪口を言いながら、子どもたちは星野選手の「凄さ」を認めていました。凄くなければ、王や張本を打ち取ることなどできるはずがありませんでしたから・・・。カードで星野が出てくると、子どもたちは口々に「なんだよ、星野かよぉ〜」と言ってガッカリして見せましたが、誰一人として、交換に出そうとしないのです。細かいことなどわからくとも、子どもたちは、星野の姿から、自らの直感で「男の生きザマ」を感じ取っていたのでしょう。敵軍の選手だから、素直に「頑張れ!」と言えなかっただけなのです。だから、空き地で野球をやる時、巨人チームに入れなかった子どもたちは、ピッチャーをやる時、必ず自らを「星野だ」と名乗りました。子どもたちに「男のカッコよさ」を見せつけた炎のピッチャー、星野投手こそが、「正義」の心を持った敵役だったのです。
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