プロ野球パジャマ
竹之内雅史内野手(太平洋クラブライオンズ)




 今みたいにサッカーやバレー・バスケが一般的でなかった当時、子どもも大人も、スポーツ番組といえば「プロ野球」であり、ヒーローといえば、野球選手でありました。学校の昼の校内放送で、各クラスの自己紹介をしたりなんかすると、男の子は決まって、「僕の名前は◯◯です。大きくなったら野球選手になりたいです」と、何の臆面もなく言いました。思えば、女の子の方だって、だいたいが「歌手」か「花屋さん」でしたから、どっちもどっちなんですけど・・・(苦笑)。
 さて、そんな折、商店街の外れにある洋品店で「プロ野球パジャマ」なるものが売られ始めました。値段は忘れましたが、とても高い物だったらしく、親に取り合っても、一向に首を縦に振ってくれません。友達が1人、2人と買ってもらい始めると、私の心は大いに揺れました。こうなると、あきらめるわけには行きません。ああだこうだと、ねばり強い交渉をすること数カ月・・・。何かの約束と引き替えに、とうとう、このパジャマを買ってもらえることになったのです。
 その洋品店には、12球団のユニホームがあしらったカタログが置いてありました。地方の小さな洋品店のこと、そんな子どものパジャマなど、在庫で置くような粋な計らいなど、土台あるはずないのです。私は、結局お店では決めることができず、カタログを借りてくることになりました。理由は簡単、カタログの下段に小さく載っていた「太平洋」という紫のパジャマが、どうしても気になって仕方なかったのです。
 もちろん、一番欲しいのは巨人です。これは、関東の子どもにとっては「お約束」のようなもの・・・。でも、他の子どもたちが着ていない、紫のしゃれたパジャマだって、どうしても着てみたいのです。さんざん悩んだ挙げ句、やっと出た精一杯の一言が、「両方欲しいなぁ・・・」。
 ところが、世の中そうそう甘いものではありません。「巨人が好きなんだから、太平洋なんていらないだろ! 1つあればいいんだ!」 威厳ある父親の一言は、私を黙らせるに充分以上のものがありました。
 かくして数週間後、我が家には巨人のパジャマが届き、私は太平洋のパジャマなど忘れ、嬉々として床に就きましたが、今でも、このユニホームを見ると、あのパジャマの思い出が鮮明によみがえってきます。たった1年間、しかも前・後期で微妙に違うことを考えると、本当に短い間しか使われなかったこのデザイン・・・。私の中だけでなく、プロ野球全体から見てみても「刹那の輝き」であったのかも知れません。



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