密かなあこがれ
山田久志投手(阪急ブレーブス)
当時の子ども(もちろん、私を含めた周りの)たちにとって、ピッチャーといえば「堀内」でありました。クラスでも少数だった「アンチ巨人」の子どもたちでも、ヒーローは星野であり、平松であり、外木場でありました。パ・リーグのピッチャーなど、どこの誰でも皆同じ・・・。カードでいえば「ハズレ」だったのです。
当時の阪急は、黄金期のまっただ中にありました。南海が凋落の一途を辿る中、日本シリーズといえば「阪急」であり、子どもたちにとってみれば、小生意気にも我が巨人に戦いを挑む、憎きチームでありました。
そんな日本シリーズで、時折ヘンな投げ方をしてくるピッチャーがいました。背番号17を纏うこのピッチャーは、クネッと体を曲げると、下からビューンとボールを投げつけ、我らが王や長嶋を、次々と手玉にとって行きました。「山田はセにいないタイプだから、王も長嶋も苦労しとる」と、一緒にテレビを見ていた、やっぱり巨人ファンの大人たちは、口々にそう言いました。「ヤマダ・・・かぁ」・・・。
ヤマダは、次の日の学校でも大いに話題となりました。子どもたちは「クネクネピッチャー」と、苦し紛れのあだ名を付け、このピッチャーの活躍を恨みました。私も、とりあえずその話の輪に参加していましたが、心のどこかに引っかかりがあることを、よく自覚していました。そう、あの「クネクネ」、あまりにもかっこよかったのです。
時は流れ、山田の引退が決まった最後の西武戦。私の足は、なんの迷いもなく、所沢に向かっていました。
すっかり野球にも詳しくなり、ひいきのチームも南海に変わっても、山田は相変わらず「敵」には違いありませんでしたが、それでも素直に応援したくなるような「美」が、このピッチャーにはありました。
世界で最も強く、そして最も美しいピッチャー。これが、私にとっての「山田久志」なのです。
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