近鉄 バファローズ
大阪近鉄帽子
使用期間 平成9年〜平成16年
展示No. BU04
中央帽子製 球団承認タグつき市販帽子
南海、阪急の身売りを始めたとした関西球界自体の低迷は、老舗球団である近鉄バファローズにも、重い影を落としていました。起死回生のための「何が」が必要・・・。球団は「大阪と言えば阪神」という「常識」に、真っ向から立ち向かう決意をします。それは、南海が去った「大阪のど真ん中」への再進出。確かにバファローズには、少し前まで「日生球場」という準フランチャイズ球場がありました。でも、今回は、長年連れ添った藤井寺球場を取り残してまでもの大変身だったのです。そう、大阪ドームへの進出・・・。
大阪ドームへ乗り込んだバファローズは、大胆にも、定番だったユニフォームのデザイン変更に踏み切りました。賛否両論、どちらかといえば反対意見の方が、いや、圧倒的に反対意見が多かった中、それでもあえて定番の赤袖をやめ、モノトーンに水色の背番号という斬新なデザインへと乗り換えたのは、それだけ球団の決意が悲壮であったことを物語っていたはずです。帽子も、モノトーンにしては非常に斬新に映ります。野球帽にしては異様な大きさの天ボタンと、唯一残った、岡本太郎デザインの猛牛エンブレムとのコンビネーションが、色合いからくる雰囲気を押し返しているのかも知れません。
大阪ドームへの進出後、球団も様々な改革に乗り出しますが、その効果は、観客動員数の劇的増加として表れることもなく、梨田体制で最後の胴上げを経た後、猛牛は、静かに、しかし堂々と、青い波の中へと去って行きました。
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